ちょいと打合せで文京シビックセンターへ。
丸の内線が地下へ戻る瞬間を見つけて思わず撮影。
ガラス越し撮影はコントラストが落ちるけど、
そこはLRの「かすみの除去」で。
打合せの結果、街歩き系のちょっとした試みがひとつはじまることに。
コース考えねば。
まだ陽が高かったのでX-T2を持って旧小石川区散歩。
一度訪れたかった簸川神社へ。
旧社地は御殿坂上の貝塚あたり、今の小石川植物園あたりだという。
小石川植物園は江戸時代の小石川御薬園。その前は徳川綱吉の宰相時代の御殿があった地。御殿が作られたとき、このあたりにあった神社2つが遷座させられた。
ひとつはこの簸川神社。もうひとつは白山神社である。
東京都遺跡地図情報インターネット提供サービス
→東京都遺跡地図情報インターネット提供サービス:東京都教育委員会
を見ると、
確かに、崖の上に貝塚があった。
あのあたりか。
さてどの駅からも遠いこの場所、次はどこへ向かおうかと地図を見ると白山神社が近い。
白山神社経由、白山駅から帰ることにする。
白山神社境内に小さな八幡神社を発見する。
由緒書きを見ると、
白山神社の地主社で源義家伝説がアリ、古奥州道が通っていたという。
つまり、もともとこの地に八幡の祠があり
そこに白山神社が引っ越してきた(本郷元町→綱吉の御殿→現社地)
という話のようである。
寛文の頃の江戸外絵図を見るとわかりやすい。
→
国立国会図書館デジタルコレクション - 新板江戸外絵図. 浅草,下谷,上野,谷中,湯島,本郷,小石川,駒込,染井迄
ではその奥州道はどこだったか。
白山神社下の現春日通りは谷筋なのでたぶん違う。
白山神社前は旧中山道である。
その少し北には岩槻街道(日光御成道)が通っている。
どちらもありそうではあるが。
街道沿いの古社古刹、歴史を見ると、
岩槻街道沿いの方が、富士神社、平塚神社&豊島郡衙跡など史跡が揃っており
鎌倉時代には岩淵宿として賑わった岩淵の渡しへ通じているなど
そっちがここでいう奥州道と見てよいんじゃなかろうか。
源氏伝承をぜんぶ真に受けると、
義家にいたっては10人以上いないと話にならないわけで(笑)
それに振り回されてはいけないんだが、
江戸時代より前からあった神社ですよとか
くらいの意味ならあるかと。
古奥州道や古鎌倉道伝承も同様で
家康入部以前からあった古道はたいてい「古奥州道」か「古鎌倉道」扱いだから。
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