2018/01/02

鞆の浦正月猫紀行

広島県福山市鞆町。
日の出とともに目覚める。
って冬の日の出なので7時あたり。


警戒したほどの寒さはない。
日が昇ったのでソニーのRX10M4を携えて朝の散歩に出かける。
狭くてくねった坂道をのんびり下りると目の前に漁港が広がる。
正月なので漁に出る船もなく、平日なら魚をさばいてるテントは
無造作に道具ごと放置されている。
長い防波堤とテトラポッドの向こうに瀬戸内海の島が見える。
あの島が何なのかは知らないが、大陽の下をちょうど貨物船が通過したので
RX10M4をF11まで絞り、光芒をわざとらしく出しつつ1枚。

漁港に猫はつきものであり、正月で水揚げはないのだが、何匹かの猫に遭遇する。
防波堤にいる釣り人の釣果を狙っているのかもしれない。
ひときわ若い猫は好奇心にまけてこちらへとコトコト歩いてくるが、
キジトラはちょっと警戒してて、距離をとってこちらと見つめ合うのである。


朝は漁港で3匹、路地で2匹の猫と出会う。
猫連載用の写真を撮りまくる。

さらに淀姫神社方面へ少し散歩してから帰宅。
昼飯。

午後は鞆港方面へ歩くことにする。

そこからはクルマがすれ違うことができない狭い道で鞆港に通じており、
対向車があるときは少ない「離合場所」を利用する。

それを抜けると
古い歴史と風光明媚の鞆の浦である。
午前中、淀姫神社から撮った鞆の浦がこちら。
きれいな湾状になってる。

右側が瀬戸内の海。湾状になってるから古くから港として栄えたのだ。
右奥に見えるのが仙酔島。
その手前に鞆の浦があり、2つの城址が見える。
ひとつは
戦国時代に足利義昭(最後の室町幕府将軍)の居館がおかれ(だから鞆幕府ということもある。将軍がいたところだから)、
江戸時代に鞆城が築かれた台地。

台地下に有名な常夜灯が見える。
このあたりが観光地で、正月なのにいくつかのカフェは開いて観光客で賑わっている。

もうひとつの城址は右手に。
今は陸続きだが、中世までは独立した島(たいか島)があり
鎌倉時代は遊女が住んでいた(と「とはずがたり」に描かれている)。

南北朝期には1342年に南朝方によって大可島城が築かれたが、落城。
戦国時代は、村上海賊の因島村上氏の一族が拠点として鞆の浦の海上権を持つ。

江戸時代、廃城となり、陸続きとなり、円福寺が建てられた。

鞆港沿いに歩き、狭くて古い路地を入ると、円福寺への長い階段があらわれる。
境内に辿り着くと
猫を膝に乗せたカメラ女子を発見。

許可を得て撮影してます。為念。

鞆港周辺で、以前フィールドワークでご一緒した猫好きの街歩き仲間と偶然遭遇する。
なぜ鞆の浦で埼玉に住んでる人とばったり会うのか、それも正月に(笑)!
面白いもんである。
FBでつながってなかったので、その場でつながる。

鞆の浦を散策しながら猫などを撮ってたら日が暮れてきたので
帰宅することに。


大量に撮った猫写真は、今月の猫連載で披露する予定。

その他、神社やら路地やら斜面やら鞆の浦の写真を撮りまくっているので
いつかその辺をまとめたページでも作ろうと思いつつ作れてない。



面白い町ですよあそこは。
歴史の深みが全然違うから。

何しろ、神功皇后三韓征討の帰途、なんて話がしれっとでてくるのだから。
寺院も鎌倉室町は当たり前だから。
鎌倉時代に書かれた「とはずがたり」にも出てくるくらいだから。
織田信長によって京都から追われた足利義昭(室町幕府の将軍です)が
毛利氏を頼ったとき、居館として与えられたのが鞆の浦だから。

しかも、江戸時代の建物もしれっと残ってるのである。

さすが瀬戸内の天然の良港である。
交易で栄えたのだ。

古くから山陽道が通ってはいたが、
交易に使ったり、使者などが行き来するのは海路だったのだ。
水運は重要なのである。

ここは何度訪れても飽きない。








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