上野動物園のモノレールは日本最古のモノレールにして、
動物園内のみ運行の短いものではあるが動物園遊戯施設ではなく
れっきとした東京都交通局による運営路線で正式には「上野懸垂線」であり、
都内唯一の懸垂式ではあるが、
2019年11月に運行を中止してしまう運命にあるのである。
で、モノレール好きの妻がぜひ乗りたいといっていたのだが
なかなか都合がつかず、
日曜日だけど行ってみるかってんで
根津駅から南下して不忍口から入場。
ぶらぶらと動物園を楽しみ、わたしは作例も撮り、
モノレールへ。
ラッキーなことに、一番後ろの席をゲット。
いやあ、モノレールは懸垂式に限りますな。
また平日にゆっくり乗りに来ようということで
東園。
まあ、上野動物園は動物がいっぱいいるのだが、
井の頭自然文化園や多摩動物公園の方が動物たちが健康的で元気そうな印象。
都会で来場者が多くて狭いってのはストレスなんだろか。
で、だな。
上野動物園には動物園に入らないと見られない史跡が2つある。
・江戸時代の五重塔
ひとつは上野東照宮の五重塔。
地図で見ると上野東照宮の参道脇にあるのだが、
敷地的には動物園の中なのだ。
だから間近で見るには動物園にはいらなきゃいけない。
この塔、
1631年に上野東照宮の一部として創建。
1639年に火事で焼けたもののすぐに再建。
その後、上野戦争でも消失せずに残った、江戸時代前期の五重塔なのだ。
(ちなみに、東京に現存する一番古い五重塔は池上本門寺にある)
で、東照宮(こっちは神社)のものながら、五重塔は仏教建築なので、明治期の神仏分離の際、寛永寺の管轄になり、昭和33年東京都に寄付され、上野動物園の敷地に取り込まれたということのようである。
・藤堂家墓地は動物園にあり
もうひとつ、今回はじめて知ったのだが、
動物園園内に動物園ガイドマップにも載ってない墓地があるのだ。
しかも非公開。
塀の上から覗き込むと、立派な宝篋印塔がずらりと並んでいる。
これ、藤堂高虎をはじめとする藤堂家の墓地。
藤堂高虎といえば上野の地に下屋敷を構え、
そこを寛永寺に提供した武将。
その後、藤堂家の菩提寺が寛永寺の別当寺である「寒松院」で、上野戦争で消失して上野公園の東側に移転したのだが、墓地だけが元々の場所に残り、
やがて上野動物園に取り込まれたのだが、非公開の墓地なのでガイドマップにも載ってないというわけ。
・上野の地名語源は?
上野はもともと忍ヶ岡といったが、藤堂高虎の伊賀上野の領地だったことから名づけられた説、がよく書かれているが、それは明確に間違い。
上野の地名は戦国期の北条所領役帳にも出てくるし、鎌倉時代末から南北朝期の文献にも「うへの」と書かれているそうで、それが今の上野を指すとすればその頃まで遡る。
おそらく「上野」がこのあたり全体の地名で、「忍岡」は上野台地につけられた名だったんじゃないかと思う。藤堂高虎の領地が伊賀上野だったのはまあ偶然ってことで。
帰宅して、トリセツにDC-G99のレビューを仕上げる。
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