まずは甲州街道を府中へ、アイバンラーメンで昼飯を食った以外はノンストップで大国魂神社へ向かう。
旧道があるところは旧道を走る。基本。現甲州街道は空気が悪くてつまんないもの。
そういえば、府中へは何度も走ってるけど、甲州街道で行くのははじめて。
たいてい北に大回りをして人見街道を走るか、南の品川道を走るかしてるから。
甲州街道って江戸時代にできた道だから今ひとつ興味が持てなかったのだよね。
すっかり現代の道になってるし、沿道の史跡も江戸期以降のものばかりだし。
で、甲州街道っていつできたの? ってのがずっと疑問で。
甲州街道が開通したのは江戸時代初期ってのはわかってるのだけど、
じゃあ室町時代はどうだったのか、と。何もないとこに街道を通したわけじゃないだろうから、
従来の道を拡幅したり点在してた道をつないで1本にしたりしたはずで、
じゃあどこが新しくてどこが古いのか。古道好きとしては気になるのだ。
高井戸宿も府中本宿も……調べてみると、甲州街道ができてから、集落ごと街道沿いに移転させられたというし、
たまに古社古刹があっても、調べると江戸時代に甲州街道沿いに移転してきたものばかり。
たとえば、
つつじヶ丘にある「大雲山金龍寺」は甲州街道沿いだけど、由緒を調べると元の場所は古鎌倉街道といわれる十王道沿いの弁財天(たぶん、西つつじヶ丘1丁目の現厳島神社だと思う)というし、調布の「布多天神社」も旧地はずっと南にある古天神公園だし(もっとも1477年に現在地に遷座したというから、室町時代なわけだが)、甲州街道沿いにある谷保天満宮もメチャ古いけど、位置関係を見るに、天神の上にあとから甲州街道が作られたっぽいし。
甲州街道沿いの史跡を全部調べたわけじゃないからなんともいえないんだけど。
甲州街道以前に府中と江戸方面(まあ、国府が作られたころはまだ「江戸」はなかったに等しく、目的地は大井町や品川だったのだが)を結んでいたのは、今の甲州街道よりちょっと南にある「品川街道」(品川道)だといわれてる。
甲州街道以前に府中と江戸方面(まあ、国府が作られたころはまだ「江戸」はなかったに等しく、目的地は大井町や品川だったのだが)を結んでいたのは、今の甲州街道よりちょっと南にある「品川街道」(品川道)だといわれてる。
ともあれ、旧甲州街道をひた走り、大国魂神社にある「ふるさと府中歴史館」で休憩。
さらに甲州街道を西へ。現甲州街道と合流したとたんに車が増えて空気が淀んで走りにくくなる。まあしょうがない。
国立あたりで谷保天満宮に立ち寄る。
天神さまといえば牛。谷保天満宮境内にて。 |
ちゃんと立ち寄ったのははじめてなんだが、ここ、面白いわ。
天満宮といえば祭神は菅原道真公で、太宰府天満宮か京都の北野天満宮、なのだが、谷保天満宮はこの2つより古い。
それは知らなかったよ。
太宰府天満宮は菅原道真が死んで2年後に廟が、16年後に社殿が造営された。北野天満宮は死後20年後に創建されたんだが、谷保天満宮は菅原道真が亡くなってすぐ、903年に創建されてるのだ。
それは知らなかったよ。
太宰府天満宮は菅原道真が死んで2年後に廟が、16年後に社殿が造営された。北野天満宮は死後20年後に創建されたんだが、谷保天満宮は菅原道真が亡くなってすぐ、903年に創建されてるのだ。
なんでそんなに素早かったか。
菅原道真が太宰府に流されたとき、一緒にその息子達も遠方に流刑にあったわけで、そのひとり、三男である道武は谷保に追いやられてたのである。
で、父親の死を知った道武がすぐに祀ったのが最初なのだ。
道真の祟りがきっかけで創建された太宰府天満宮や北野天満宮より早いはずである。
それでも、「東日本最古の天満宮」と称している。これで日本一じゃないとはっ
じゃあ日本最古の天満宮はどこだ、と調べたら、
なんと、菅原道真の生前に祀ってた「生身天満宮」があったのだ。
生前とはすごいな。そら勝てんわ。
で、境内ではニワトリが放し飼いにされておりました。
左下のニワトリはホンモノです。OM-D。 |
その谷保天満宮だが、甲州街道から鳥居をくぐり、少し歩いて階段を下りると上の滝があり、拝殿がある。つまり、谷保天満宮は斜面にあるのだ。
街道から斜面を下って拝殿に向かう神社ってのは考えられないわけで、元来、境内よりさらに下った崖下からの参道が表参道だったと考えるのが普通。
創建の地はもっと南、今の国立府中インターのあたりだったが、多摩川の氾濫にともない、鎌倉時代に現在地に遷座したといわれてるから、神社前を東西に通っていたと思われる道は、東は府中、西は青柳の古道に通じていたはずである。。
谷保天満宮から甲州街道を青柳へ向かい、日野橋の交差点を左折。これ以上まっすぐいくと奥多摩街道に入っちゃうし、自販機で飲み物買ってたら編集者から電話があって夕方に打ち合わせすることになっちゃったから引き返すことに。
帰りは多摩サイで。
日野橋手前を左折して多摩サイにはいり、青柳の古道を走って残堀川が多摩川に合流するとこ兼府中用水取水口のあたりで休憩。
ここにはいつも猫がいるからね。
猫を撮ってたら、川べりにあやしいハムを発見(笑)。
えっと、用水沿いにハムがきれいに並べられてるんですが……これはいったいなに?
干しハム? なんかの供養? 宗教的な何か?
謎すぎます。いったいなんだったんだろう。
のんびりしてたら時間がなくなってきたので、青柳の古道から多摩サイに合流し、あとはひたすら足をくるくる回して、セブンイレブン休憩とトイレ休憩だけで帰宅。
向かい風だったから疲れたー。向かい風は上り坂より精神的にきついわ。
総走行距離は約47km。
帰宅してシャワー浴びて作業してたら編集から電話があって経堂で待ち合わせてブツの受け渡しと打ち合わせ。
帰宅して急いでascii.jpに猫連載を書いてメール。
テーマは決まってたのだけど、どうも作例に不満がアリ、急遽かふかを追加撮影したりした分遅くなってしまいましたすみません。
街道から斜面を下って拝殿に向かう神社ってのは考えられないわけで、元来、境内よりさらに下った崖下からの参道が表参道だったと考えるのが普通。
創建の地はもっと南、今の国立府中インターのあたりだったが、多摩川の氾濫にともない、鎌倉時代に現在地に遷座したといわれてるから、神社前を東西に通っていたと思われる道は、東は府中、西は青柳の古道に通じていたはずである。。
谷保天満宮から甲州街道を青柳へ向かい、日野橋の交差点を左折。これ以上まっすぐいくと奥多摩街道に入っちゃうし、自販機で飲み物買ってたら編集者から電話があって夕方に打ち合わせすることになっちゃったから引き返すことに。
帰りは多摩サイで。
日野橋手前を左折して多摩サイにはいり、青柳の古道を走って残堀川が多摩川に合流するとこ兼府中用水取水口のあたりで休憩。
ここにはいつも猫がいるからね。
猫を撮ってたら、川べりにあやしいハムを発見(笑)。
instagramより |
干しハム? なんかの供養? 宗教的な何か?
謎すぎます。いったいなんだったんだろう。
のんびりしてたら時間がなくなってきたので、青柳の古道から多摩サイに合流し、あとはひたすら足をくるくる回して、セブンイレブン休憩とトイレ休憩だけで帰宅。
向かい風だったから疲れたー。向かい風は上り坂より精神的にきついわ。
総走行距離は約47km。
帰宅してシャワー浴びて作業してたら編集から電話があって経堂で待ち合わせてブツの受け渡しと打ち合わせ。
帰宅して急いでascii.jpに猫連載を書いてメール。
テーマは決まってたのだけど、どうも作例に不満がアリ、急遽かふかを追加撮影したりした分遅くなってしまいましたすみません。
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