僕たちは、自分にどんな適性や潜在能力があるかを知らない。でも、「この仕事をやってください」と頼まれることがある。あなたが頼まれた仕事があなたを呼んでいる仕事なのだと、内田樹さんのブログ(http://blog.tatsuru.com/2012/05/02_0959.php)に あったわけで、
少なくともわたしはそんな風にして20年以上やってきてるからしてすごくピンとくる話で、
呼ばれたけどわたしには合わなかったor実力が足りなかった場合は
次からその仕事がこなくなるだけなのでそれがわかるだけでもとてもよいことなのである。
フリーでやってるとそんなことは日常茶飯事であって、チャンスだけはいろんな人がくれるので、
おもしろそうな仕事はできるかどうかわかんなくてもまず引き受けてみて、
うまくいけば次につながるし、ダメだったら次はこない、と。
ある意味シンプルな世界であります。
以前、最近の若い人には仕事が無いとおっしゃる人と話を少ししたとき、その人がニーズとシーズがマッチしてない、確かに仕事はあるけど、やりたいと思う仕事とマッチしない、というような発言に違和感を覚えてて、
それはまあやりたい仕事につけて、それが自分の能力とあっていて、食べていくことができればそれにこしたことがないわけだが、そんなおいしい話がそんなにあるのかというと、
学校の屋上で「実はずっと前から好きでした」「実はわたしもです」めでたしめでたし、な話がそうは転がってないのと同じようなもんだろうと。
続いて同じブログから引用。
自分自身は少しも変わらず自分のままでいて、それにぴったり合う「理想の配偶者」や「理想の職業」との出会いを待ち望んでいる人は、たぶん永遠に「ぴったりくるもの」に出会うことができないでしょう。フリーで長くやってると
「やってみたいこと」と「やりたいこと」と「できること」と「やるべきこと」は違うってのがよくわかるわけで、
「やってみたいこと」は誰でもわかるけど、
自分が「やりたいこと」がわかってればいいほうで
自分に「できること」は実のところわかってないことが多く
「やるべきこと」がわかればもう勝ったも同然、なわけで、
ここで冒頭の引用につながってくる。
フリーで長くやってると、やりたくないと思った仕事でもやるべきなら厭わずにやるしね。
それは当たり前の話。
もちろん「呼ばれた仕事」が自分に合ってるかどうかは
やってみないとわからないわけで、もちろん「やるんじゃなかった」って羽目に陥ることもある。
問題は
「自分を呼んでいる仕事があって呼ばれて飛び込んでみたはいいけど実はお呼びじゃなかった、あるいは実は自分がやるべき仕事じゃなかった」ときにそこから飛び出して次に切り替えられるかどうか
というところにあるんだろうなと。
昭和の呪いにも困ったもんです。
再チャレンジが難しいとなったら、リスクの少ない方を選びたくなるのは人情だもの。
そんなことを考えつつ、原稿を書いたりJリーグの試合を見たりした1日でありました。
鳥栖、すげー。一度スタジアムに観に行きたいな、これは。
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