谷中は台地の上にある。
さてどうなんだろう。谷中って谷なのか高台なのか。
いろいろ説があって、
日本国語大辞典には
上野台と本郷台の間の谷にあるところから呼ばれたとあっさり書いてある(しかも出典不明)のだけど、
日本歴史地名大系(平凡社)はもうちょっと細かくて、そんなあっさりとは済まさない。
上野の北にあたる。東はつまり、上野の北にある高台を指すといっている。 谷中霊園も台地の上だ。日暮里 (現荒川区)、西は根津 の両低地の間、上野台の北半分に広がる高台で、南部は上野公園に続く。谷中の地名は上野の山と駒込 との間の谷であることによるとも、下谷に対する名称であるともいう(御府内備考)。中世には総州・奥州への街道筋にあったといい、北条氏所領役帳によれば、遠山弥九郎が「江戸屋中」三九貫文を知行していた。
谷中といえば一応台地の上とその南西にある低地を含む地名なんだが、先に開けたのはおそらく台地の上で(中世の海道筋だったというし)、谷中は台地の上にある、といっていいんじゃないかと思う。
谷って名前がついてるから低地を指してると思いがちだけど。
ともあれ谷中である。うちからは小田急→千代田線という相互乗り入れのおかげで1本で行ける。千駄木駅で降りて台地を上ればすぐ谷中だ。
明治初期の谷中あたり。あまりに寺ばっかですごい。クリックしてみて下さいまし |
谷中銀座は古い商店街のようだが、谷中銀座の道ができたのは明治時代後期で、夕やけだんだんの階段が作られたのは戦後のこと。
よって歴史好きは夕やけだんだんの脇にあるくの字型の坂(七面坂)を上るべし。
途中に石仏も残ってる。
坂を登り切った南北の通りが、日本歴史地名大系に書いてある「中世の街道筋」かと思う。この道を北に向かうと、鎌倉時代創建と伝わる「諏方神社」があるし、少し南の長安寺は江戸時代開基のお寺だが、中世には別の寺があったという伝承があり、実際、鎌倉時代の板碑も残っているからだ。その上きれいな尾根道になっており、中世の街道としては他に候補はあるまい。
上野台地には古墳もあり、上野(往古は忍岡と呼んだ)と豊島郡衙(上中里あたり。現平塚神社。豊島氏の居城跡)を結んでいた道だったに違いない。
で、その古街道沿いに土日だけ開いてる「旅するミシン店」というお友達がやってる小さなお店があり、そこで合流して妻も合わせて3人で晩ご飯を食べる約束になってたのだ。
→旅するミシン店 | 東京・谷中にある手づくりのブックカバーの店です。
妻がそのお店で遊んでる間、
わたしは谷中をぐるぐるとカメラを持って散歩して、レビュー用の作例撮り兼猫探し。
谷中霊園で4匹、古道沿いで計4匹、夕方の夕やけだんだんで4匹と10匹以上。谷中の猫といえば「夕やけだんだん」が有名だけど、そこだけじゃないのだな。
しかも、路地で猫を撮ってたら「おぎくぼさんですか?」と見知らぬ人に声をかけられる。なんとTwitterのフォロワーさんで、そのあたりに住んでて、フリック別冊に出たときのバッグや顔写真でわたしだとわかったらしい。びっくり。
そういう体験、楽しいですな。
たぶん、この本。このときと同じバッグを背負ってたから。。。
→携帯ツール百科 あなたのデジタルデバイス見せて下さい (エイムック 2561)
墓地裏の崖上猫。OM-D。 |
古い寺町で古い商店街が残ってて大きな霊園も近いので、
高年齢層に人気がありそうなのだけど、
実際には若いカップルも多いのだ。カメラぶら下げたカップルが多い。
30〜40代が少なくて、若い層と老人層の2つピークがある感じ。
「旅するミシン店」店長もそれに同意してくれた。
面白い分布だなあと思うことしきり。何故なんでしょう。
若い人は猫目当てなんだろうか。知らないところで流行ってるんだろうか。
気になりますです。
帰宅して今日撮った写真を吸い上げてチェックして
月曜着で返却せねばならないブツを梱包して、深夜、コンビニへ持って行く。
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