2016/11/12

稲城の地形は21世紀の今になっても絶賛改変中です

稲城市は何かと興味深い場所である。

・地形
北半分は多摩川が作った低地。
南半分は多摩丘陵。

・神社
古社が多く、
大麻止乃豆乃天神社(おおまと の つ の てんじんしゃ。江戸時代は丸宮明神など)

青渭神社(元は青沼明神)

穴澤天神社(天神だけど菅原道真系にあらず。少彦名命。)
これは穴澤天神下にある弁天と湧水。神社自体は崖の上にあるけど、元々はこの湧水かと思う。

と延喜式内社を称する神社が3つもある。

ただしそれぞれの神社に論社があって確定はしていない。
多磨郡全体で8社しかない延喜式内社のうち
3つがここに集中するなんて考えられないわけで、
わたしのアテにならない勘では
延喜式内社といえるのは穴澤天神社だけじゃないかなと思ったりするわけだが、
まあいずれにせよ、中世以前からある古社がいくつもあるのは確かである。

本日はこの3つすべて訪問。なんて欲張りな(笑)。

・城址
中世の城址が3つもある。
大麻止乃豆乃天神社の北にある大丸城(今は住宅地で名残なし)

稲城駅前にあった長沼城(今は地形ごとあとかたもなし。ああ城址の碑があるというが見そびれた。かろうじて京王線の陸橋が「城址橋」)
穴澤天神社の裏手の山にある小沢城(城自体はギリギリ川崎市だが)

である。

3つとも行ったに等しい。

・街道
府中から是政の渡しで対岸に渡り、橘樹郡衙や河崎に通じる府中道が通っている
多摩丘陵を南北に貫く鎌倉街道も通っている

なのに、である。
2つの城址は跡形も無いし、
丘陵地は削りまくって盛り土しまくって宅地造成しまくるし。
高度成長期ならともかく
少子化が必至な現在でもこうして地形を変えまくってるのである。
少しでも多摩丘陵を削って住宅地を増やしたいという意志が感じ取れる。
絶賛開発中

これだけの歴史を抱えながら……何がしたいんでしょね。

歩いた道筋を「スーパー地形」アプリを使い、
明治後期の地図+地形図に重ねて注釈をちょっといれてみた。

まずはA。
これ、「明治末期の等高線と今の地形が全然あってない」のがようわかる。
「削られてるA」の真ん中を貫いている曲線は今の「三沢川」。
舌状台地をぐるっと回ってた三沢川を、台地を削って、その中を通したのである。
長沼城址は消え、さらに稲城駅が作られた。

「削られてるB」はもっとよくわかる。
明治末期の等高線だときれいな急斜面を描いているはずの場所が
ごそっと削られてるのだ。
京王線で多摩センター方面へ行く機会があったら
よみうりランド駅から稲城駅の間、南を見ているとよいかと思う。

もったいないですな。




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