江戸時代の古地図を見ながら日比谷から赤坂見附まで歩くのである。
配付した資料はこんな感じ。
赤く囲ってあるのは、
わたしが持ってる江戸の古地図(もちろん複製ですが)をスキャンしたもの。
スキャナにかけるのはめんどくさいので、どっちもomoidoriでスキャンしてるのだ。
こんな風に。
これがもうめちゃくちゃ速くて便利。2Lサイズまでに限られるんだけど、
部分拡大して使いたいときはこれで十分。
もとの解像度がけっこう高いので、A4にプリントしても使えるし。
日本地図センターの「東京時層地図」、国立国会図書館の近代デジタルライブラリーにある江戸期の地図や文献、手元にある地図のomoidoriによるスキャン。
これらのおかげでめちゃ助かっております。
わたしがこうして、街歩きの講座なんてできてるのはもうITのおかげ。
で、日比谷公園に残る外堀、虎ノ門あたりに残る外堀、
山王日枝神社の江戸時代の参道と当時からの道をあるいて衆議院議長公邸前から
歩道橋を渡って赤坂見附跡へ行こうとしたら、封鎖されてる。
え?
しょうがないので道の反対側から赤坂見附の話をしたら
警備してた警官が飛んできて、「向こうへ渡るだけでしたら通ってけっこうです」というので通らせてもらう。
反対側の封鎖は手で除去。
ちょいと面白い体験付でした。
カザフスタン大統領が通過するのでその間だけ歩道橋を封鎖してたらしい。
なるほど。
来日していたのか。
ともあれ赤坂見附で解散。
その後、20時までぽっかり時間が空いたので、
地下鉄で日比谷公園へ戻り、
これを鑑賞する。展示替えがあったのでもう一度見ておきたかったのだ。
図録はありませんかと聞くと、ないという。残念。
しかも写真も撮れない。
鳥羽絵やポンチ絵に添えた文章をちゃんと読みたいのだが
その場で読めるレベルには達してないので
写真にとってゆっくり解読したいんだがなあ。
20時からはそういう文章を読めるように通ってる
某大学での「くずし字勉強会」。
これにぼちぼち通ってるおかげで
こういうのもちょっとだけ読めるようになったのです。
「武蔵名勝図会」(国立国会図書館デジタルコレクションより) |
上下高井戸宿の境にあり。古への鎌倉道にて、□より来たり、橘樹郡へ出て宿河原道にて玉川を渡り、世田谷領へかかり、(中略……一部読めない)大宮八幡の大門通りを過ぎて、中野村追分へ出る。それより中山道板橋へ行くなり。今は農夫樵(きこり)の往来道となり、野道のごとし。
肝心のところがわからないわけだが、まったく読めなかった頃に比べればましかなと。
宿河原を渡って(つまり登戸あたり)、世田谷領へ掛かり、どっかを抜けて、この鎌倉橋をわたって、大宮八幡宮に出て、中野追分から板橋方面に通じていた、けど、今は農夫やきこりが通るくらいの野道にすぎない、って書いてあるわけである。
こういうのを元に、実際の道筋をあれこれ考えるのが楽しい。
ちなみに、OmoidoriはiPhone7対応版が出ております。動きが速い!
2 件のコメント:
毎晩、寝床の中で楽しく拝見してゐます。「武蔵名勝図会」の部分は
鎌倉橋
上下高井戸宿の界にあり。古への鎌倉道にて南より来り、橘樹郡へ出て、宿河原辺にて玉川を渡り、世田ケ谷領へ掛り、此所へ来り、是より北へは大宮八幡の大門通りを過て、中野村追分へ出る。夫より中山道板橋へ行なり。今は農夫樵者の往来道となり、野径の如し。
と記してあると存じます。
おお。ありがとうございます。
あのあと、「南」と「北」はわかったのですが、
ああ、「此所へ来り、是より」とは。
なんかヒントになる地名が書いてないかと期待したのですが……。
ともあれ重ね重ねありがとうございます。
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