街歩き仲間のHさんが、カメラグランプリ2017受賞記念ということで
オリンパスの技術歴史館「瑞古洞」へ行きませんかといったのは先月のことだったか。
平日しか開いてないのだが、街歩き仲間関連だけで10人集まる。
……そのうちふたりは有給を取ってきたらしい。
京王八王子駅前からバスで現地へ。
瑞古洞はオリンパスの八王子事業所内にある。
中は撮影禁止なので入口だけ。
これがなかなか面白い。
もともとは国産顕微鏡を開発するために立ち上げた「高千穂製作所」で渋谷区にあった。
日本の高千穂はヨーロッパでいえばギリシャの神々がいた
オリュンポス山だなってことで
オリンパスへ……。そんな経緯だったとは。
そこからカメラや医療関係へ伸びていったのだ。
顕微鏡・内視鏡・カメラ・その他(ICレコーダーとか)
それぞれの歴史と、歴代の製品+最新モデルを案内してもらう。
一番勉強になったのは内視鏡関連。
普段知らない世界を垣間見られるのはいつでも楽しい大人の社会科見学である。
ちょうど「オリンパス一眼レフの夜明け前」企画展があったので
OM-1の前身となった、MDNシステムをガラス越しにみる。
製品化されないで終わったので知らない人の方が多いと思う。
カメラを徹底的にモジュール化しようという面白い試みだ。
シャッターユニット、フィルムユニット、ファインダー、レンズ。
さらにモードラ。
フィルムユニット(マガジンといった方がいいか)を換えることで
パトローネにはいった35mmフィルムもロールも使えるし、
ファインダーもペンタ部ごと取り替えることで好きなものをつけられる。
で、その派生品としてOM-1は誕生したのだ。
実は高校生の頃一番欲しかったカメラがOM-2で。
あれ、小さくて操作系がぎゅっと集中しててよかったのだよなあ。
2時間以上お邪魔して、
いざ帰ろうとすると、敷地内に神社発見。
そもそも街歩き仲間なのでそういうのを面白がる。
参拝してみると、その名も「高千穂稲荷」。
高千穂製作所の高千穂だ。
渋谷区の工場から持ってきたらしい。
よく見ると、渋谷工場云々と彫られた灯籠もあった。
こういうところに歴史は隠れているのですよ。
オリンパスの八王子事業所から八王子駅まではけっこう距離があるのだが、
もちろん歩くのである。
そういうメンバーだし。
わたしもあのあたりの甲州街道旧道を辿ってみたかったし。
仕事では何度も訪れている場所だが、
そういう散歩に付き合ってくれる編集者はいないので
一度歩いてみたかったのだ。
そしたら浅川が削った斜面に日枝神社発見。
もちろん階段を上る。
社殿が東を向いてるのが気になるがまあそれはあとで調べよう。
台地上からぐるっと回って階段と坂を下りて見上げると、
本殿がヤバい感じに。
この崖、最近崩れたっぽいねと誰かがいう。
坂の下には
庚申塔や高幡不動の石碑。
もとからここにあったのか、甲州街道拡幅にともなって
移動してきたのか。後者かな、という気はする。
途中、甲州街道の旧道が残っていたのでそちらへはいる。
左側に暗渠がある。街道沿いに水路が通っていたのだろう。
この残された旧街道感がなんともいえない。
この水路はいったん道路から離れるが、
しばらく歩くとまた別の水路が現れ、甲州街道を横切っており、
橋もかかっている。
この水路、どう流れていたのだろうと振り返ると、
水路が右にカーブして街道から離れていくあたりに石仏群発見。
逆方向から歩いてきたから気づかず通り過ぎるところだったわ。
真ん中のふたつはぼろぼろで詳細はさっぱりわからないのだが
馬頭観音とお地蔵様か観音さまのようだ。
馬がこのあたりで水路に落ちて死んだとか、
何かあった場所なのかもしれない。あるいは集落の境界か。
さすがに八王子のことはよく知らないので想像で。
浅川の橋のたもとで現甲州街道と合流するが、
橋を渡ったらすぐまた旧甲州街道は分かれる。
旧甲州街道は八王子宿の直前で大きくクランクしているのだ。
宿場クランクである(今勝手に名づけた)。
旧甲州街道を歩いて行くと、さらに旧道にわかれる。
古道三叉路である。
不自然に分かれてるところがたまらんですな。
旧道を進むと奥に森が見える。
そこは神社。
甲州街道の一里塚(日本橋から四里目)とその横に稲荷神社がある。
竹の鼻の一里塚といったらしい。
古地図を見ながら
旧街道沿いに歩く。
名残はほとんどないが、ときどき旧家が残っている。
これは「飯塚絹燃株式会社」跡のようだ。
八王子が絹で発展したときの名残。旧街道沿いならではの物件である。
そして今の街道に出て、
大鳥神社・子安神社と経由して解散。
子安神社はいついっても面白い。
何しろ奈良時代創建という八王子最古の古社。
→東京都八王子市最古の神社 子安神社
安産の神様。
ここ、ちょうど台地のキワにあたり、社殿の右手はちいさな崖になっていて池がある。
今はどうかしらないが、水が湧いていたのだろう。
かつて浅川が削った崖の上にあるのだ。
奈良時代まで遡れるかは別にして、
その当時、このあたりに集落があったかどうかも別にして
神社がおかれても不思議のない場所ではあったろう。
調べてみたら、八王子駅の南側(子安町)では平安時代の住居跡も見つかっているそうなのでこの辺も掘れば何か出てくるかもしれない。
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