その足でflick!の100号記念パーティで
祝ってビール飲んで肉を喰らう。
そういえば、flick!を作ってるタクタさんと会ったのはフットサルなのだよな。
今思うと面白すぎる。
わたしが自分の日記ページで「フットサル仲間募集」かけたとき、
エイ出版のタクタさんが面白がって連絡をくれたのだ。
それから何年かたち、タクタさんはiPad登場をきっかけにflick!なる雑誌を立ち上げ、
今は電子版のみなのだけど
とうとう100号に達したのである。
で、オールオブベストで愛用の品を取り上げて何か書いてといわれて、
愛用品というと、やっぱ数年は使い続けてて今後も手放せないものってイメージで
そうなるとデジタル製品よりは文具とかだよな、今乗ってる自転車はもう18年くらいになるから十分愛用品だけど、ちょっと違う。
じゃあ今一番愛用してる品は何かというと、
iPhone 11 Proなわけであるが、
それって、今はそれだけど、来年は次のiPhoneになってるわけで
長く使い続ける品ってわけじゃない。
iPhoneシリーズっていうのも変だし。
じゃあ、ルーツを遡ってみよう、とiPhone 3GSや初代iPhoneまで来たのだが
いやまてよ、と、今自分が使ってるiPhoneの一番の魅力を初代iPhoneは持っていたかというとちょっと違う。
わたしはiPhoneに何を求めていたか。
さらに遡ると答えがあった。
カシオのQV-10である。
QV-10を手にした時に見た未来が、今のiPhoneなのだ。
あれはカメラというよりは、日常を画像として記録していくガジェットで
撮った写真はすべてそこにはいっていていつでも他人に見せられる。
自分のまなざしを記録して他人と共有できるという未来がなんとなく見えたのだ。
QV-10が先鞭をつけたコンシューマ向けコンパクトデジカメというジャンルはいつしか
「カメラ」としての進化の道筋に乗ってしまって、QV-10に感じた未来には近づいてくれなかった。
そこに登場したのがiPhoneなのである。
とまあ、そういうわけで、iPhoneを愛用品にあげようと思ったら、
QV-10になってしまったのだ。すべてのルーツということで、オールオブベスト。
実はもっと遡れる。
シャープの液晶ビューカムである。
The Windowsという雑誌の1993年2月号に、液晶ビューカムにペンコンピュータの未来を見た、的なコラムを書いたことがある。
さらに94年には「PDAは液晶ビューカムを目指す」ってコラムをOh!Xに書いてた。
こんな感じ。
液晶ビューカムは、究極の携帯コンピュータの姿なのである。TFTのカラー液晶パネルがあり、CCDカメラがあり、マイクがあり、スピーカーがある。映像・画像・音声の入出力ができる。バッテリ駆動ができる。あとは文字やポインティングなどのOS操作だ。それは、ペンで行えばいい。さらに、
大きさは、今の液晶ビューカムよりちょっと液晶モニタを大きくして(今のは4インチだけど、まあ、6インチは欲しいところだ)、テープ駆動部分がなくなっただけ、薄くする。なんてことまで書いてた。
もちろん、通信機能は標準装備。FAXモデム機能は当たり前として、PHS対応でデジタル通信も可能。もちろん、そのまま電話としても使える。携帯電話ではなく、パーソナル・ハンディホンだ。
当時の技術がベースなので、ちょっとアレだけど、いわんとするところはわかるかと。
あの頃はまだフラッシュメモリなんてポピュラーじゃなかったし、インターネットもなかった。
30年近く前の話だ。
ともあれ、テキストも音声も画像も映像もすべてを同じように扱える携帯デバイスこそが未来のパソコンだと感じたわけである。
これ、今思えば、iPhoneのことでしょ?
つまり、わたしにとってQV-10の延長線上にiPhoneがあるのだ。
逆に言えば、1992年頃夢想した未来が今現実になってるわけで、
なんとも感慨深いのである。
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