尻に火がついたので単行本の作業。
6ページ分を仕上げて送る。
畑中章弘の「廃仏毀釈」読了。
神仏分離令とそれにともなう廃仏毀釈って以前から気になっていたのだけど、
思った以上にややこしいことになっていたのだなあ。
神社と寺を分離しろというのだけど、これが大変難しい。
政府がやったのは神仏分離令。神と仏を完全に分離すること。廃仏毀釈は民間の廃仏毀釈運動で、多くの仏像や仏堂が消滅した。歴史を辿るのが好きなものにとってははなはだ迷惑な令なのである。
さらに多くの寺が締め付けられて困窮し、廃寺となったり他と合併したところも多い。
で、神仏を分離しやすいところはよかった。たとえば渋谷の金王八幡社は敷地を八幡社と東福寺で分けてどっちも生き延びてる。
でもそもそも神仏が一体化してる分離不可能な寺社(八幡大菩薩とか牛頭天王とか各種権現とか)、山岳信仰の山は修験道で発展したので神社と言うよりむしろ寺、そういうところでは何が起きてたのか。これがまあひどい。
大きな神社は寺院と一体化しており境内に仏教施設(五重塔や六角堂や太子堂やその他もろもろ)を持っていたのだがそれらはぜんぶ捨てられたのだ。燃やされたり棄却されたり、それはあまりにひどいってんで他の寺院に移されたり。
いやあ予想以上にいっぱい失われたのだなあというのがよくわかる。
我々は、以前タリバーンが仏教彫刻を破壊するのを見て怒っていたけど、
日本人だって江戸末期から明治初期にかけて似たようなことをやってたのだ。
話がややこしいのは
・地域によって廃仏毀釈が強烈に行われたとことそうじゃないとこの差がでかい
・うまく分離できない寺社は基本的に仏教系の痕跡をすべて棄却して神社となった
・廃仏毀釈自体は数年で終わり、そこまで生き延びたところは生き延びてる
・江戸時代、寺や僧の数が増えすぎてたこともあり、神仏分離令+国家神道のおかげで檀家がなくなり存続できなくなった寺院が無数にある
ということ。
そして、我々が見る神社の社号や主祭神は明治初期の神仏分離令以後のものであること。
これから神社の由緒書を見る目が変わりそう。
牛頭天王を祀っていた神社は祭神が素戔嗚尊となり、天王社は八雲神社や八坂神社や素戔嗚神社のように名前を変えてる。
ちょっと興味が出てきたのと、「廃仏毀釈」ではひたすら事例が並んでいて強烈過ぎたので、全体としてはどんな流れだったのか、このジャンルの名著らしい「神々の明治維新」も注文する。
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