2023/06/19

0619:日本橋・江戸橋、そして掘留の椙森神社へ

夜の予定が人形町方面だったので

早めに家を出て、単行本用の写真の不足分を日本橋近辺で撮り、


さらに、最近チェックしてなかった旧日光街道を浅草橋近くまで散策する。

「かいうんばし」親柱をチェックしてたら

楓川を「かえでがわ」と読むか「もみじがわ」と読むか論争があることをしる。


普通はそのまま「かえでがわ」と読んじゃうのだが、

中央区の解説板には「もみじがわ」とあり、日本歴史地名体系でも「もみじがわ」と読んでる。「楓川」と外堀を繋いでた「紅葉川」という水路があるので余計ややこしいのだが、実はどっちも「もみじがわ」と読んでて、表記だけを変えたのかもしれない。楓を「もみじ」と読んでも間違ってはいないし。

大正元年の「日本橋繁盛記」に当たってみると、楓川に「もみじがわ」とルビが振ってある。ここはやはり「もみじがわ」と読むべきか。国立国会図書館デジタルコレクションは偉大だ。

かいうんばし(江戸時代は海賊橋)を渡り、第一銀行創立の地をチェック(実は、渋沢栄一の大河ドラマを見てどこか気になってたのだ)。あの個性的な第一国立銀行の後継が、こんな無味乾燥な四角いビルになっちゃうとは、なんかさびしいぞみずほ銀行(いやこれを作ったときは第一勧銀? 知らんけど)。



その隣にあった古くて荘厳そうな建築が気になったので写真だけ撮っておく。

建物と「フィリップ証券」のギャップはなんだ?


どうも、1935年建築の成瀬證券の本店だったが、2011年にシンガポールのPhillip Financials株式会社と合併(買収?)してフィリップ証券に商号変更したということらしい。なるほど。

江戸橋へ歩き、旧三菱倉庫の江戸日本橋歴史ギャラリーを覗く。歴代三菱倉庫のミニチュアがあって面白い。



で、外観はこんな感じで、旧い倉庫に新しいビルを合体させたような趣であるが、


実は、ビルを建て替えるとき、倉庫の外壁だけを残すという技を使ったとこで、

なんと、外壁を残して中身をごっそりくりぬいたのだ。

これが2012年にたまたま撮影してた、外壁を残してごっそりくりぬいたときの写真である。


さて

旧日光街道まで北上して浅草橋方面へ歩き、時間が無くなってきたので踵を返して戻って目的地へ。

明治後期の地図を見ながら歩いてたら鳥居マークが気になり、

いくつか立ち寄ってたら遅刻しそうになる。



今回の収穫は、ノーマークだった「椙森(すぎのもり)神社」。

なんと平安時代創建で、江戸三森(椙森、柳森、烏森)のひとつだったらしい。

これで江戸三森すべて制覇か←だからなんだという話なんだが

で、この椙森だけど、江戸時代の掘留の近く……というよりかは、旧日光街道(=往古の奥州道)の近くで、場所的に平安時代からぎりぎり陸地だった場所だろうから、

古い神社があってもおかしくはないのだよな。

藤原秀郷が平将門を討つためにここに戦勝を祈願し、

将門を討ち滅ぼしたのち、白銀の狐像を奉納した(しかも、その狐像は現存してるとWebサイトに書いてあった!)のがはじまりという。

だからまあ、稲荷ではあると思うが、倉稲魂大神や素戔嗚尊など「五社稲荷大神」が主祭神なのだという。ちょっと深掘りしたくなる由緒だ。まだしてないけど。

今はこじんまりとしたビルに囲まれた一角で、江戸時代の参道は失われてるけど(だから鳥居を入って90度曲がったところに社殿があるのだ)。



で、そのあとVixion 01のうちうちの体験会へ(次へ続く)。

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