日本の正史であるからして、神代の話は短めで、各天皇の治世について細かく描かれている。
まあ、どのくらい史実かというと、たぶん、前半は1割くらいなんじゃないかと。
で、目に付いた点をあれこれと。
- 出雲と日向:スサノオのミコトが降りたってヤマタのオロチを退治したのが出雲の地。今の島根県ですな。で、アマテラスオオミカミの子である、タカミムスミのミコトが、その国を孫のニニギノミコトに治めさせたいといって、それを了承させる。まあ奪っちゃったわけだけど、これがいわゆる「国譲り」。日本書紀には各説が述べられてて内容がそれぞれ違うのだけど、古事記にある大国主命の国譲りに相当する。で、国を譲られたニニギノミコトはというと、これが出雲じゃなくて、九州の日向に降り立つのである。これが不思議で、出雲を支配してる神に「その土地を譲れ」といったくせに、降り立ったのは出雲から遠く離れた日向だったとはこれいかに。不思議だ。
- 天皇の名前:とにかく漢字がずらっと並んでるとこにやまとことば式で読むのでわけわからんのが人名。ちなみに「神武天皇」なんていう我々の目に触れる天皇の名は「漢風諱号」で、あとからつけた「中国風」の名前。で、「和風諱号」というやまとことばの名前もあって、神武天皇の場合「カムヤマトイワレヒコノスメラミコト」となる。カタカナで書かれても漢字で書かれてもわからんのだが、こいつを3つに分解すると見えてくる「カムヤマト」は神倭で接頭辞みたいなもん、「スメラミコト」は天皇のこと。「ヒコ」は彦で男子につく。女子は「ヒメ」で媛とかく。つまり神武天皇の名前は「イワレ」、あるいは「イワレヒコ」ってことなのだ。で、そのイワレヒコの本名は「ヒコホホデミ」だと日本書紀。でも本名は諱(いみな)といって、普段は使わない。名前は大事なのだ。
- それ以外の名前:みなさん漢字6文字以上でややこしいのだが、だいたい「地名や役職名+名前+その位」な感じに分解できそうで、モノノベノアラカイノオオムラジは「物部」の「アラカイ」の「大連」で、アラカイが名前と思ってよく、勝手にそうやって頭の中で省略してやるとわかりやすい。
- 武内宿禰は長寿すぎ:そもそも初期の天皇って平気で120年も生きたことになってたりしてるわけだが、それを上回るのが武内宿禰で、5代の天皇に仕えてて、数えたら300歳くらいになるんじゃなかろうかという。日本書紀を読んでると「あれ? さっきもこいついなかったっけ」が連続して頭が混乱します。
- 卑弥呼とヒメミコ:天皇の子どもは皇子(ミコ)。男なら名前に彦がつくので「ひこのみこ」。女なら媛か姫がつくので「ヒメミコ」(皇女と書いてたりする)。で、ヒミコはこの「ヒメミコ」が転じたものだ、と誰かが書いてたのを思い出した。日本の使者が上げた名前を、中国人が聞き取って同じ音の漢字で表記したわけで、ヒメミコがヒミコになるくらい十分ありそう。でも日本書紀的には神功皇后(おきながたらしひめのみこと)が卑弥呼だと考えている節あり(神功皇后の章に、魏志にいう、として当時の出来事として引用されてる)。
- よく出てくる地名:九州各地や倭(大和)地方は当然として、よく名前が出てくるのが、越の国(今の北陸。越前越中越後加賀、さらに出羽国の一部も)、吉備国(今の岡山と広島県東部)、淡路といったあたり。古くからいろいろあった土地なんだろうなあと思わせられます。特に越の国。継体天皇の出身地でもあるし、神功皇后と仲哀天皇が九州征討に行く際、仲哀天皇は都から瀬戸内を通り、神功皇后は越の国から日本海ルートを通って、今の山口県で合流してる。
- 手段は選ばぬ:前半は、天皇を中心とした政権が日本を征服したり、反乱を鎮めたり、そんな話がメインなんだが、勝ち方をよく見るとかなりアレで。日本武尊(ヤマトタケルのミコト)が熊襲征討にいったとき、敵の大将である熊襲武(クマソタケル)を討つため、日本武尊は女装して宴会に潜り込み、熊襲武をいきなり殺したという……えっと、それって、ずるくない? しかもそのとき熊襲武から「武」の名をもらったというのがまたよくわからんとこで、こんなだまし討ちは普通。主君を裏切らせて殺させておきながら、いざ実行したら「こんな主君を裏切るようなヤツはまたほっとくと裏切るに違いない」と殺してしまったり。そこらじゅうできな臭い戦い、あるいは謀略戦をしております。
- 雄略天皇と武烈天皇:このふたりが特に傍若無人に描かれてて、武烈天皇は特にデタラメに書かれていて、「女たちをはだかにして平板の上に座らせ、馬を引き出して面前に馬に交尾させた。女の陰部を調べ、うるおっている者は殺し、うるおっていない者は官婢として召し上げた。これがたのしみであった」とかこんなのがたくさん。癇癪を起こしてはすぐ殺す人物として描かれる。実は次の天皇が越の国からやってきた継体天皇で、ここで新しい王朝になった(つまり違う血筋になった)といわれており、その正当性を際立たせるために武烈天皇を暴君として描いたという話もあるけど、もちろん、史実がどうであったかはわかりませぬ。
- 朝鮮の話がやたら多い:神功皇后の三韓征伐はおとぎばなしとしても、今の日本と韓国よりずっと近い存在だったんじゃないかというくらい、朝鮮(特に任那や百済)の話が出てくる。おおむね、百済が日本に朝貢したとか新羅が朝貢しなかったとか、そういう話で。「百済本記」などの書物(現存しない)を参考にした記述も多々登場する。大陸をいかに意識してたかがわかる。
- 武蔵国造の争い:武蔵国の国造をめぐる争いについて、安閑天皇の時代にでてくる。
- 継体天皇:天皇家は一子相伝……じゃなくて、万系一世ということになってるけど、実は武烈天皇で途切れて、今の天皇家は継体天皇から始まってるという説あり。日本書紀によると、武烈天皇に子どもがなく、応神天皇の五代の子孫である継体天皇を越の国に見つけて連れてきたってことになってるが、5代って遠縁過ぎだろう、と。ちなみに武烈天皇の兄弟は、他はみな女。その前まで遡ると、確かに跡を継げそうな人物は見当たらない。仁徳天皇の息子の世代で天皇の座を巡って戦ったり殺し合ったり権謀術数駆使してるのでその時点で皇子が減り、武烈天皇の代で断絶、という漢字にはなってる。ちなみに応神天皇の次が仁徳天皇であり、そこまで遡ったってことなんだろう。応神天皇の子どもは男女合わせて20人もいるそうだし。それにしても、5代はねえ。
うーむ。箇条書きならシンプルにおさまるかと思ったのに、やっぱ長くなるなあ、というわけでこのへんで。
ともあれ、読んでみると適度に眠くて適度に面白い。今は下巻をつらつらと読んでおります。
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