→「鞆の浦」埋め立て計画、広島県が正式断念:朝日新聞デジタル
瀬戸内海の景勝地「鞆(とも)の浦」(広島県福山市)の埋め立てと架橋建設計画について、広島県は正式に断念することを決めた。地元住民らが埋め立て免許を県と福山市へ交付しないように県知事に求めた訴訟の進行協議が15日に広島高裁(野々上友之裁判長)であり、県側が免許申請を取り下げる方針を住民側に伝えた。これを受け、住民側は訴えを取り下げた。約9年続いた訴訟が終結した。
だそうである。
鞆の浦はここ。
はじめて鞆の浦架橋問題の話を知ったとき、ステレオタイプな
「公共事業に金を回したい行政や工事をしたい地元の土建業者」
vs
「景観を大事にしたい地元民」
の争いかと思ってたのである。公共事業&ハコモノ優先行政はいかがなモノか、的な。
でも実際には違ったのだ、という話。
鞆の浦とはちょいと縁があり(妻の実家がこっちなので)、
地元の人と話をするとどうもそうじゃない。
地元でも
「景観が壊れると困る観光エリア」
と
「橋ができないと道路が狭くて不便すぎるから作って欲しいエリア」
があるのだ。
わかりやすく描くとこうである(地図は「カシミール3D+スーパー地形セット」使用)。
濃い赤い道がすでに完成している県道。
鞆の浦は福山市のはずれにある小さな集落なので、買い物も通勤も他都市への移動も福山市街に出ないと話にならない。
で、上の図の「観光地エリア」は橋がなくても困ってない上に、
道も(広いとはいえないけど)それなりにちゃんとしてる。
橋を作ることで景観が変わるので、架橋反対の人が多いという。
鞆の浦はその湾の眺望が目玉のひとつだから。
でも橋が欲しいエリアの人にとっては事情が違う。
橋がないと、福山の市街地に出るのが大変なのである。
車が通れる唯一の道(上記地図の白い線。特に西半分)が狭くてすれ違いも困難なのだ。
しかも、平日の朝はさらに奥のエリアの人が福山市街への通勤のために
通り抜けようとするので渋滞する。
どのくらい狭いのか。
このくらいである。白く描いてある道の南寄りの方。
地元の人はよく知ってるので、何カ所か有るすれ違いエリアを使って
うまいことすれ違ってる。
すでに過疎化と高齢化が進んでおり、歩いてるのはほぼ老人。
道幅が広いところでこれ。
鞆の浦を訪れたときはこんな道ばかり歩いてるのですっかり覚えてしまった。
もうちょっと地図を拡大してみる。
湾が大きく湾曲(まあだから「湾」なんだが)しているあたり、土地が僅かで道幅を広げるのも大変なのがわかるかと思う。
土地の人曰く「(架橋に)反対しよるんはみんな外の人間じゃけん」
すみません、わたしも外の人です。
心情的には、奇跡的に残ってるこの古い街並みはなんとか残して欲しい。
ややこしいでしょ。
特に湾の南のエリアは橋がないおかげで
開発に取り残されて自分たちが不便してると思ってる。
確かにめちゃ不便である。コンビニへ行くのも一苦労。
福山駅(新幹線も止まる)からのバスはけっこうマメに出てるけど、
鞆港が終点(上記地図参照)。その先はバスが通れる道がないから。
そこから延々と歩くしかない。
妻の実家は淀媛神社よりさらに南なので
いつもバスの終点からぐるっと鞆港を回って20分以上歩いてる。
個人的には楽しいけど、不便であることに違いは無いのだ。
さてどうするのがいいか、
架橋を求める人の声も聞いているだけに悩ましいのである。
外の人(鞆の浦を観光地として見ている人)はおおむね鞆湾の北側を見てるので
橋なんて無用と思うのだけれども、
南の人たちにとっては重要なのだ。
すでに訪れるたびに空き家も増えているし、
保育園も園児が少なくて閉鎖された(統合された)。
買い物難民化も近い。今は、車を運転できる人が近所の人を乗せて
狭い道を抜けて買い物にいっているそうだが、
みんなかなりの老人なので危険である。
地元の人は橋があれば過疎化が弱まり発展すると思っているけど、
それは高度成長期の話で、今の時代それは望めない。
橋ができようが過疎化は進む。それはもうしょうがない。
たぶん、コストやデメリットに見合うだけのメリットはない。
だから架橋するべきとはいわない。
そのかわり、
橋や道路を作る以外の手は打てないかと思う。
一番困ってるのは買い物と医療なので、
行政が採算度外視で金を出して、
コンビニをひとつ誘致するとか(そうするとわたしも助かる)、
医療機関を整備するとか、
住民の足となるコミュニティバスをマメに走らせるとか
とりあえずなんかできませんかねえ。
淀媛神社からの眺望 |
0 件のコメント:
コメントを投稿