2016/02/27

香取・息栖・鹿島の三社を1日で踏破ツアー

えっと、千葉スリバチ学会の会長さんが、突然
2月27日に鹿島神宮フィールドワークをするといいまして、
cp+期間中だし、翌日は別のFWがあるし、ってんで
逡巡してたら、
以前から「香取・鹿島を回りましょう」と約束してた
新潮社のY氏が「車を出すから一緒に行きませんか、香取にも寄りましょう」
という。
それなら行かねばなりますまい。

というわけで、早朝から出発。
千葉スリバチ学会組は東京駅からバスで鹿島へ向かうので、
お昼に現地で合流予定である。

楽しく高速を走るの図。

香取神宮と鹿島神宮。
往古、「神宮」と名づけられたのは、伊勢神宮と香取と鹿島だけという
古社にもほどがあるというくらいの古社なのだ。
機内から遠く離れた東国の果てなのに「神宮」なのである。
しかも、香取と鹿島ってすごく近いのだ。
利根川(現利根川。当時はちがってたけどまあいいや)を挟んだ反対側という立地なのだ。
ここはどういう場所だったのか。

いやあ、現地へ行ってみたらすっと腑に落ちたのである。
行ってみるもんですな。

わかりやすく、今日のログを貼り付けた地図(FieldAccess2)に
ちょちょいと注釈をいれたものをどうぞ。
GPSログは車と徒歩が混じってるので注意。鹿島神宮についてからいっぱい歩いたのがわかります。
2枚目は明治の迅速図。



東国三社といわれてるのが、香取、鹿島とその間にある息栖神社(いきすじんじゃ)。
なぜその3つなのか。
さらには鹿島神宮は「太平洋側」ではなく、内側を向いているのはなぜか。

上の地図の赤いピンが神社。水色のピンがその神社につながる海の玄関口。
香取神宮は「津宮」。息栖神社と鹿島神宮は一の鳥居がそこにあるのだ。

太平洋沿いに来た船が銚子のあたりから奥にはいり、入り江で上陸したのである。
今は霞ヶ浦・北浦という湖だけど、昔は入り江で
小さな島や州がいっぱいあったのだ。
明治迅速図を見ても、かなり水だらけだったのがわかる。

で、息栖神社のあたりは、むかし「沖洲」といわれており、
鹿島と香取の間にある「州」だったのである。
(現代図に丸くオレンジで線を描いたけど、こんな感じで州だったのだ)
伝承によると、息栖神社の旧地は「日川」だそうで、
もっと海に近い場所だったのである。

息栖神社の主祭神は「岐の神」(くなどの神)であり、
香取の神と鹿島の神を案内してきたというから、
まず安定して航行できる内海に入り、
沖洲で一息ついて、
北に向かったら鹿島、そのまま西に向かったら香取と
二手にわかれたのだ。
(超おおざっぱに書いてます)

鹿島の方が武神となったのは、製鉄をしていたからじゃないかといわれてる。
鉄と東北へ通じる場所ということで、最前線だったのだろう。

じゃあ香取はというと、
総の国や毛野の国への入口だったのかもな。

三社とも、水運に関係してたのだ、と思うと
面白くてしょうがない。

・香取神宮

 有名な神社なのでもうちょっと観光地化されているかと思いきや、参道もこじんまりとしててちょっと地味。でも参道入口で食べた蕎麦と親子丼は旨かった。
 今の参道は新しいもの。
 地図を見ると、旧参道もあるというのでそちらから参拝する。


・息栖神社

 ここは超駆け足で。利根川を渡る橋が渋滞してて、鹿島神宮での集合に遅刻しそうだったのである(というか、すでに遅刻してたのに、息栖神社に立ち寄ってしまったのは内緒です)。
 ここは海(というか浦)に近くて、水に面した一の鳥居が参道から見える。


・鹿島神宮

 超有名な鹿島神宮。
 デカい上に参道も賑わっておりました。


この時点で、奥にある御手洗で待っているから来てね、という
千葉スリバチ学会会長からあたたかいメッセージが。

 我々も先を急ぐが、どうしても買うべき物を買い貰うべきものを貰い(わたしは、神社の由緒書きや神社が発行する小史が大好物なのである)、
 みんなを待たせている場所へ直行する、かと思いきや「いや要石だけは見ておかないと」とさらに寄り道。
 申し訳ない。

 香取神宮と鹿島神宮にはそれぞれ「要石」(かなめいし)があり、この石が地震を抑えているといわれているのだ。
 しかも、両要石は地中でつながってるとか、香取の要石が凸で、鹿島の要石が凹とかなかなか面白くて要チェックなのである。

香取神宮の要石
鹿島神宮の要石

確かに、凸と凹だ!

というわけで、みなに合流して、本番のフィールドワークである。
そしたら、鹿島神宮のボランティアのガイドさんがいらして
このあと「神の道」散策コースを案内してくれるのだという。
ああ、遅れてもうしわけない。

出発してすぐ先の大震災で倒壊した鳥居の跡。

手前の横一直線に削れてるのが鳥居が倒れた跡。
そのちょっと向こうに丸く礎石跡も見える。

そう、鹿島も2011年の大震災で大きな被害を受けてるのだ。
Jリーグファンならアントラーズ情報を通じて目にしていたと思うけど、
福島以北の被害が大きかっただけに、見落とされがちな茨城なのでした。

鹿島神宮を出るといきなりこんな矢印が。
これに沿って回ろうという鹿島市が用意したコースなのだ。
でもさ、全部回ると15kmってのはさすがに長いと思う。


先を歩くのはスリバチ学会の面々。鹿島まで10数人来たのだ。
まあわたしもそのひとりなのだけど。

そして「古道へ」


と悦んでいたら、
ほんとーに古道でした。山道。
往古の参拝の道である。
わはははは。面白い。

あ、途中で、古社や古墳や何やらにいっぱい立ち寄っておりますが
それは割愛。
スリバチ学会らしく高低差をやたら楽しめるルートでありました。






やっと人里へ。
そして目的地の一の鳥居へ。

お祭りでは、今でも
息栖神社からの船を案内に(天鳥船!)
鹿島と香取を行き来するそうである。
御船祭 | 鹿島神宮


そして鹿島神宮駅まで歩き、
みなを見送って、われわれはまた神宮まで歩いて
車で東京へ。

いやあ良く歩いた。24,000歩。
駆け足すぎて無謀だったけど、
無謀でも1日に3つ全部回ったからこそ
感じ取れたものもある、ということでよしとするのである。
個々の神宮堪能はまたいずれゆっくりと。


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