ちょいと作例を撮りに豪徳寺。
観光客は戻ってきてますな。
豪徳寺へ行ったついでに、旧尾崎邸のチェック。
奥に見える水色の洋館が旧尾崎邸。
久しぶりに人間ドック。
健康保険などの都合もあり、行先は箱崎。
水天宮前駅から歩く。
古地図を見ると、埋め立てられて上を首都高が走ってる箱崎川沿いに鳥居記号がある。
気になったので寄ってみると……永久稲荷。小さいけどずっとそこにあったのだ。
調べてみると、元禄の頃、そこに永久橋が架けられ、その袂に稲荷が勧請されたらしい。
船入の地なのでそれを護る鎮守だったのか。
| 「中央区沿革図集」(中央区教育委員会)より |
人間ドックのひととおりの検査が終わったのが10時過ぎ。一応近所の店で使えるランチ券ももらったけど、ランチは11時から。11時45分から医師の面談。
妙に時間が空いたので古地図を見ながらぶらぶらと散歩。
日本橋川や箱崎川の橋を愛でたり、橋の袂にある解説板を読んだりしてると、パワースポットなる案内を発見。
日本銀行発祥の地も気になったのでそちらへ歩いてみることに。
高尾稲荷は最近建て替えが終わったところらしく、鉄骨の鳥居が斬新。
江戸時代初期(吉原の場所が旧吉原から新吉原へ変わる頃)の高尾太夫の悲劇が由緒で、彼女の骨が祀られているそうな(でもほんとに高尾太夫の骨かはわからんし、その悲劇が史実かどうかもわからん)。
ランチを食べ、クリニックへ戻る。
医師との面談も終わり、せっかくなので日本橋へ歩いてから帰ろうと、
川沿いに小網町から常盤稲荷、
東京古道散歩の日。
高田馬場駅前に行列。何かと思ったらスタンプラリーでした。
高田馬場駅から南下して諏訪神社前の通りに入り、玄国寺と諏訪神社。
玄国寺の方が、移築された岩倉具視邸(の一部)がよく見える秘密スポット(秘密ってわけでもないけど)に案内して簡単な解説をしてくれてありがたや。裏手から見ると、当時の人の西洋への憧れが垣間見えて面白い。瓦屋根の軒下に部分洋風。
高田馬場跡を経て北上して、水稲荷へ。山羊に会う。
甘泉園で休憩。
その後鎌倉街道を北上し、池袋で解散。
意外に暖かくて喉が渇いたので4人で打ち上げ。
帰宅。
リヒトラブから1冊でも倒れない本棚が届いてたので、試してみる。
A5判だとちと大きいかなというコンパクトサイズだけど、
めっちゃ賢い構造なのでさっそく使うことに。
横方向への連結もできるので超お勧め。安いし。
節分。恵方巻。
関西の一部の慣習を全国的に広めようというのはどうでもいいのだけど、
この日は普段は見られない贅沢な海鮮巻が出回るので
それが楽しみだったりするのだった。
忙しくなる前にと単行本の原稿に取りかかるが、
どうもうまく流れない。
ある程度頭に入ってるので、資料をチェックして詳細を補足しつつ……と思うのだけど
資料がありすぎていい感じにまとまらぬ。
困ったな。
あまり固い感じにはしたくないので、ちょっと咀嚼が足りないぞ、
ってことで、最初の8頁だけ書いて筆を投げる。
寝る前に、あ、こうすればいいかも、と思いついたので
起きていて覚えてたら書き直す。
正月明けに撮影してテキスト書いて送った案件、
追加撮影の依頼があったので、
クライアントの要望にしたがって、いくつか撮って送る。
夜、NHK BSで豪徳寺の旧尾崎邸のドキュメント番組を見る。
45分くらいかなと思ったら、なんと90分の長丁場。
邸宅の由来を調べるところから、それに関係したり住んだりした人たち、保存計画までびっっしりと。
実は建てたのは尾崎行雄ではなかった(ようだ)。どうやら、建てたのは「尾崎三良」で、来日した娘セオドアのために洋館にしたんじゃないかということだった。
だから「旧尾崎邸」であることになんの間違いもないというのが面白いところ。
さらに、そのセオドアは尾崎行雄と結婚してるので、尾崎行雄と縁がないわけじゃないってのもまた面白いところ。
後半、
新田たつおが出てきたのには驚いた←これは単行本3巻で登場する話らしく、単行本でしか読んでないのでしらなかったのだった。
とかいいつつ、実はグランドジャンプのコラボクリアファイルに当選してて、新田たつおとのコラボクリアファイルを持ってたりするのだった。
番組視聴後、クラウドファンディングの第2弾に参加する。
ここ、昔から豪徳寺へ撮影に行くたびに気になってた家なのでぜひ残り、一般公開して欲しいと思ってるのだ。
2月4日の東京古道散歩用の配布資料を作る。
迅速図と今の地形図を重ねると面白いわ。今の団地とか戸山公園のあたり、射撃場と競馬場あるし。諏訪神社は街道沿いの台地の縁にあるし。
この作業、大変面白いのでほぼ趣味みたいな感じで作ってるけど、
かなり時間かかってるので時給的には微々たる微々。無に等しい。。。
東京古道散歩用の配布資料をベースにテキストと写真付けて、本にできないかなあ。
興味ある出版社からの連絡求む。こんな感じです。
エアリアル食べる。
水星の魔女を見たのが今年になってからなので、限定品にはすっかり出遅れてフレッシュトマト味食べ損ねた気がする。
銀座で、銀座オフィシャルで連載してる銀座いなり探訪の取材とその後の打ち合わせ。
行先は銀座松屋。
いつもは地上から入るのだが、たまには地下から回ってみようと思う。
そしたらば、入口に銀座共同溝のぞき窓が。これは知らなかったー。
たまには地下を歩くのもよいですな。
主目的は銀座松屋屋上の龍光不動尊。
そろそろ次の東京古道散歩の配布資料を作らねばならない。
高田馬場跡から池袋へのルートは昨秋「まいまい東京」で歩いたルートなのでいいけれども、高田馬場駅から諏訪神社を抜けて高田馬場跡へというルートはずいぶん前に歩いたきりだったので、そっちをチェックしたくて出かける。
諏訪神社はもともと大国主命と事代主命を祀っていたところに徳川義直が諏訪大神(建御名方命)を勧請し、諏訪神社となった。なぜ義直かというと、そのみなみの戸山一帯が尾張徳川家の下屋敷になったからである。
諏訪神社は少し高台にあり北側に神田川の支流が流れていた。その支流を取り込んだ形で玄国寺があったが、明治以降に敷地が縮小されて、川の北側に墓地と地蔵尊、南側に寺と別れてしまった。
| 玄国寺に移築され、書院として使われている旧岩倉具視邸。 |
| 諏訪神社。空が広い! |
その辺を確認しつつ歩き、北東に向かって斜めに通じる古道を通って高田馬場跡へ。
このルートは村尾嘉陵が八八幡詣でで歩いた道だ。彼は穴八幡から諏訪神社を経由して大宮八幡宮へ向かうのに多分この道を歩いてる。
もうちょっと足を伸ばして面影橋まで歩き、
そこより北は最近歩いてるので変わってるとこはないはず、と、
甘泉園へ向かい、水稲荷へ。
いい水が得られたという甘泉園の裏の高台に水稲荷が鎮座する……というのはいかにも神さまが祀られそうだし、崖を登って訪れてみると実に静かで緑に囲まれた古そうな場所だが、水稲荷がここへやってきたのは昭和38年のこと。早稲田大学が水稲荷があった場所に校舎を新築して校内を拡げたい、その代わり、早稲田大学が持っていた甘泉園の土地を水稲荷に譲渡する、てきなことがあったのである。
じゃあ水稲荷が来るまでその高台に神様は祀られていなかったのかというとさにあらず。江戸時代は三島山と呼ばれ、三島大神が祀られていたのである。今は水稲荷に合祀されてめだたなくなってるけど。
水稲荷本殿の裏には、戸塚の地名語源になったという「富塚」があり、これは古墳であり、いかにも古そうで昔からここにあったようだが、実は富塚も水稲荷と一緒に遷ってきたのだ。
| 水稲荷とともに遷された富塚古墳 |
| これは富塚古墳の石室が流用されたといわれている。 |
いや、古墳はその場所にあることが大事なのでおいてこうよ、構内に古墳がある大学っていいじゃない、と思うのだけど、昭和38年のことなので当時の価値観的にはどうだったのかわからん。高度成長期の真っ只中、歴史的な云々は軽視されてた時代だったのだろうか。
じゃあ旧地に行ってみるかと穴八幡の方へ向かう。旧地は穴八幡から早稲田通りを挟んだ反対側にあったのだ。そこにあるのは知ってたけど、大学構内なのでなんか入りづらかったのである。
でも今日はもう大事な用件も終わったし、はいっちゃえということで小さな早稲田大学第3西門から入って奥へ向かうと、9号館の手前に小さくて四角い一角がある。
そこが富塚跡。富塚跡の碑が建っている。
| この門の奥に富塚と水稲荷はあった |
| 早稲田大学構内にある「富塚跡」の碑 |
もうちょっと歩くか、ってことで一陽来復の御守りを求めて行列してる人々を迂回し、戸山公園に入って蟹川暗渠を辿りつつ箱根山登頂。
| 戸山公園にある箱根山(築山)。 |
| 箱根山山頂から日没を眺む |
そして、大久保通りに出て、都バスで新宿西口へ行くのであった。
帰宅後、ascii.jpに猫連載を書いてメール。
ITmediaにデジカメトレンドのコラムを書いてメール。
最近はほとんどのコミックをiPadで読んでるわけで、
電子書籍だと続刊通知というのがあるから、
新刊が出るとすぐわかる。気づいたらその場で購入して読める。
でもたまに、紙で揃えたいシリーズもある。
今買ってるのは「AIの遺電子」シリーズと「新九郎 奔る!」。
で、この「新九郎 奔る!」の新刊が出てたのに気づかなかったのだー。
ゆうきまさみのtwitterアカウントをフォローしてるのに。
もうすっかり電子書籍の便利さに慣れちゃっててていかんですな。
で、やっと購入。
とうとう、新九郎が東国に絡んでいく展開になってきましたな。
ちなみに、新九郎というのは伊勢新九郎で、のちの伊勢宗瑞、今でいう北条早雲のこと。
面白いのが、堀越公方と太田道灌の描き方。このふたりがその後どうなるのか史実を知ってるだけににやにやして見てしまう。
いち早く戦国時代に突入した室町時代の東国は微妙にマイナーだったり似て非なる名前の人がいっぱいでてきて厄介だったり、山内や扇谷上杉氏に至っては名前を覚えた頃には死んじゃって次の人に変わったりとかでとにかくややこしいので、こうして物語になってくれると実にありがたいのだった。特に上杉と長尾はいっぱい出てきてややこしい。越後上杉氏に至っては家宰の長尾氏に下剋上されちゃって、しまいには長尾景虎が上杉謙信になったりするのである。
ITmediaにZenfone9のカメラレビューを書いて送る。
なかなか小さいのにしっかりしたヤツでありました。カメラの話だけど。
いろいろ見てると、スマホでコストがかかるとことってだいたいわかるので、
ああ、ここに金かけてこっちで手を抜いてコストおさえてるなあ、とか
見えてきて面白いのだけど、
その点、Zenfone9は小さいけど、
メインカメラも超広角カメラも画像処理も手を抜いてないのが分かっていい。
ただ、質感がさらっとしてるので手が乾燥する冬はするっと落としそうでこわかった。
昼、近所でZenfone9の作例撮り。ちょっと追加で撮りたいものがでてきたので。
夜、赤坂の地図バーMでスリバチ学会系の人たちと新年会。
バーは狭いので人数限定で。
よく知った人たちなので気楽に好きなことしゃべったり、
知らないことを教えてもらったりで楽しく過ごす。
書いていいかどうかわからないので書かないけど。
平均年齢60歳くらいの中にひとり大学生がいて、
彼がまた面白くていろいろと話をする。
途中、初対面の方が来られたので何をしている方かと尋ねたら、
昔、チベットの山を調査する(だったかな?)チームにいたそうで
知らない世界の話をいっぱい教えてもらう。なにげにすごい人だった。
たまにこういう集まりに出ると面白い。
ScanSnapのここがRICOHになるらしい。
ここのロゴ、気にしてなかったな、そういえば。
PFUはもともと「パナファコム」と「ユービック」の頭文字を取った名前で、
パナファコムは「パナソニック」と「ファコム」(富士通のコンピュータブランド)が合体したもので、
その後富士通の完全子会社になってもPFUの名前はそのままだったのだから、
リコーが買収することで(富士通も20%の下部を保有するけど)、
PFURにならないかと思ったのだけど、PFUはそのままなのだった。
夜、S5IIのレビューを書く。
フラッグシップ機と思うと言いたいこともあるけど
ミドルクラスの……しかも、フルサイズセンサーでこれだけの性能と機能を持ってこの価格かー、APS-Cのハイエンド機はたまらんな、というカメラなのは確かなのだった。
リアルタイムLUTも面白いし←でもレビューにそこまでは入れられなかった。
何でもかんでも入れちゃうと長くなるし冗長になりかねないので
取捨選択は大事。
映像作品を撮りたい人にはさらに魅力的なんだろな。
昼間、行きたいところがいくつかあったのだけど、
結局家でぶらぶらしてしまう。
で、午後からは近所の友人宅で新年会って感じで集まって宴会。
23時半頃帰宅したときの温度計。
メインがリビング。2番が寝室。
1と3が屋外(ベランダと玄関前)。
もちろん何時間も家をあけてたので暖房などはなし。
今のマンションに住むようになって一番ありがたいのは
特に断熱をうたってたわけでもないし、窓も古くさいアルミサッシなんだけど
それなりに断熱してくれてること。
それなりの分譲マンションはやっぱそれなりにしっかりしてるんだなあと感心する。
屋外で10度を切ってても、室内は19度近くを保ってくれてるのだ。
電気代ガス代高騰の折、助かるわ。