どの道を辿ればよいか事前調査しようとWebを探すも、
決定版がない。
そこでここに詳細を記す。
現地で
一番役立ったのは駅前で配布してたこの観光地図。
SNAPLITE+iPhoneで撮影。こういうとき便利なSNAPLITE。 |
ああありがたや。
これを辿ればいける!
なお、駅前で観光ガイドしてくれた方によると、
現在、足柄千年古道の冊子を制作中らしい。
素晴らしい。
・足柄古道とは
律令時代に定められた五畿七道のひとつ、通称「古代東海道」は
現在「旧東海道」として知られる江戸時代の東海道の前身となった道。
ただ、京と江戸を結んでいた旧東海道とは違い、
都と東国(終点は常陸国)を結ぶ道だった。
そして、駿河国と相模国を結ぶのに、旧東海道の「箱根越え」ではなく、
箱根の北側を回る「足柄越え」が使われていたのである。
正確にいえば、主街道が足柄越えで、
脇道として、あるいは主街道が使えないときに箱根越えが使われていたらしい。
江戸時代になり、急峻ではあるがより最短距離で結べる箱根越えのルートが街道として定められ、整備されたのだ。
そして、律令時代から中世まで使われていた足柄峠越えのルートは
江戸時代は足柄街道として、さらに矢倉沢往還として
使われるようになったのである。
そんな足柄街道のうち、古代から使われていた道を「足柄古道」と呼んでいるのだ。
今の足柄街道(現足柄街道)は江戸時代の街道がベースになっているが、
古代の街道そのものではないのである。
今回はその足柄街道を、可能な限り古道を選択しつつ、
関本宿(大雄山駅)から地蔵堂までを歩いたのである。
まずは全体像を。
下記の地図右下にある大雄山駅を降り、関本へ向かい、
関本から「足柄古道散歩」のはじまりである。
当日のGPSログ+撮影した場所。A~Gは以下に詳細地図で示したエリア。 |
・関本から白地蔵まで
大雄山駅を出たら右折し、現足柄街道まで出る。バス通りでもある。
バス通りを足柄神社を目指して歩く。
このあたりは古道と旧道と新道が一致しているエリア。
中世以降、関本宿として賑わっていた。
それなりに広い道沿いに
やたら馬頭観音や庚申塔、歴史解説板があって、マメにチェックしてると大変なので写真は載せないけど、マメにチェックするのである。
とりあえず、総合グラウンド前の解説板は最重要ポイント。
なんとここが坂本駅の跡。後の関本宿なり。 |
古代東海道には一定距離ごとに馬を乗り継ぐための駅家が用意されていたのだが、そのひとつ、坂本駅がこの辺にあったのだ。
古代の名残である。すばらしい。
当時の賑わいがやがて坂本宿と呼ばれるようになり、後の関本宿になったのである。
さらにてくてくと歩くと、やがて右手に「白地蔵」。
小麦粉を塗りたくられて白くなってる地蔵尊。これはなかなか面白い。
白地蔵なので白いのです。 |
・白地蔵から足柄神社まで
白地蔵のすぐ先、右手に分かれる細い道が足柄古道である。「足柄神社入り口」と書いてある。ここから今の足柄街道と古道が分かれる。
もちろん、古道を辿って上り坂へ。
詳細図A |
現街道から古道が分かれる足柄神社入り口。見逃すな。 |
たまにある「足柄神社」案内を見逃さずに道なりに進むと、
足柄神社の鳥居が現れる。
いい感じの尾根道! |
足柄神社着。 |
足柄神社拝殿の少し下には観音堂がある。「足柄明神の本地仏である聖観世音菩薩像を祀った堂です」とある。平安末期から鎌倉時代に盛んだった思想に基づくもので、旧さを味わえてすばらしい。特に観音堂周りの苔むし加減は最高。
観音堂下。雨だれが穿った溝と苔の凹凸がすばらしい。 |
日陰で少し休憩し、足柄神社脇の道をさらに奥へ進む。
・足柄神社から矢倉沢へ
地図で見るとややこしそうだが、分かれ道にはたいてい「足利古道はこちら」という看板が立ってるので見逃さない。
両脇は畑や果樹園。見通しがよくて、時々左右を見渡すと、どちらも斜面で、ああ尾根道を歩いているのだなということがわかる。
これだけ人も家もない爽やかな道を歩くというそれだけで快感。
こういう案内を見逃さないこと |
奥へ伸びる道筋がすばらしい。 |
案内板を見逃すな |
案内板を見逃すな |
なぜ足柄古道は現代の街道に比べて遠回りをしてるのか。
それは地形がそう誘うから。
詳細な地形図をよく見ると、うまいこと谷頭を、つまり谷越えを避けてるのだ。谷頭を巧妙に迂回するとちょっと遠回りになってしまうのである。
詳細図B |
これ、見逃しそうになってあせった。 |
え、もしかして道が閉鎖されてるのか? 戻らねばならないのか?
あにはからんや。
よく見ると「イノシシ被害対策のため」と書いてある。
なるほど。手でゲートを開けて、通ったらまた締める。
詳細図C |
行き止まりかとビビりましたよ。イノシシ除けのゲート。 |
やがて道は下り坂になり、現足柄街道に合流する。
さすればもう矢倉沢関所近くである。
・矢倉沢から足柄古道入口へ
矢倉沢関所は狩川方面に少し下った場所にある。道も少し川の近くへ下る。
往古からこのあたりに集落があり、そこを通過したんだろう。
現街道から旧道へ降りる道は2本ある。
1本は矢倉沢関所跡前を通る道。
でも、駅前でもらった観光地図を見ると、足柄古道はもう1本奥の道を示している。
ここは地図に従うことにする。関所跡を通らないけど、まいっか。と。
矢倉沢関所前あたりはそれなりの集落があり、今でも家々が残っており、コンビニのひとつ、いや自販機のひとつくらいはあるだろうと思ったら……何もなかった。がーん。
詳細図D |
クーリッシュが欲しいよおと嘆きつつ、
バッグにいれておいたお菓子を分け合って食べて少し補給し、
ちょっと休憩して先へ進む。
土地柄、富士山信仰を物語る石碑が多い。 |
ここが少し難易度高い。
実は古道を分断する形で現街道によって切り通されているため、古道を辿るにはちょっと迂回して斜めに坂を上りなおさねばならないのだ。
拡大地図をどうぞ。もともと赤いラインが古道なのだが、間を切り通しで分断されたため、青い矢印のようにちょっと迂回するのである。これに気づかないと現足柄街道を行きそうになるので要注意。
詳細図E |
THETAを使って解説してみた。 |
こんな古道を歩くのであった。 |
ときどきある案内板。 |
ただ、関本-矢倉沢間ほど案内は親切じゃないので要注意。
細い尾根道をてくてくと歩き続け、再びイノシシ除けのゲートをくぐると、くねくね曲がってる新道を見下ろすポイントに出る。ここは絶景。
古道から見下ろす新道の風景は格別です |
右手は茶畑。左手は並木。よい道です。 |
少し進むと左手に自販機、右手に家康陣馬跡という休憩スポットに到達。
この真っ赤なコカコーラの自販機がうれしかったこと。
現街道に辿り着く。 |
青空に真っ赤な自販機。めちゃうれしい瞬間でした。ここで補給休憩。 |
家康陣馬跡は、1590年、秀吉による小田原攻めの際、家康がここで陣をしいたといわれた場所。
詳細図F |
自販機前を少し進むと「足柄古道入口」というバス停が現れる。
このあたり、左に折れる道が古道なのだが、1本は急斜面の山道、もう1本は舗装された林道(バス停の向こう側に少し見えてる道)。
山道をいくのが正解かと思うが、誰も歩いてない山道(自然遊歩道?)はこの時期は草が鬱蒼としていてちょいと挑戦する気にならなかったので、素直に林道を進むことにする。
・足柄古道入口から地蔵堂へ
古道はぐぐっと大回りしながら山を上る。たぶん、深くて広い谷を避けるためだ。渡河可能なポイントまで遠回りしてたのである。
途中、城址なんかもあるが、けっこう単調な道で長いのぼりである。
城址の解説板 |
ここを鋭角に右折すれば単調なのぼりはおわりだー |
ここが往古の渡河ポイントだったようだ。
詳細図G |
長者橋からの眺め。後ろは矢倉岳。 |
橋を渡ると丁字路。
左へ折れて山を上ると夕日の滝。右へ曲がると金太郎。
普通ここまできたら滝くらい見るだろう、と思うが、無視。
金太郎生家跡とか金太郎が遊んだ太鼓石の広場とかを見ながら下る。
足柄山の金太郎である。
金太郎のモデルとなったといわれるのが「坂田金時」という平安時代の武人。足柄山にいたのを源頼光に見いだされ、四天王のひとりとして酒呑童子などと戦ったという話だが、もちろん実在の人物であったのか、ほんとにこのあたりで生まれ育ったのか(足柄峠を挟んだ反対側の静岡県側にも金太郎伝承が残っているらしいし)は不明。でも伝承がいろいろ残っているらしい。
ともあれ、やっと人家が連なる集落である。夕日の滝へ向かう人々が溜まる場所でもあり、自販機もお店もあるのだ。
道沿いに坂を下っていくと地蔵堂。
地蔵堂 |
そこには、行列ができるといううどん屋「万葉うどん」がある。
無事、うどん屋に飛び込み(昼時を過ぎてたので並ばずに入れたが、その後もひっきりなしに客がくる。人気店らしい)、昼飯にありつく。評判通り、旨い。これは生き返るわ。
今日はここまで。飯を食って一息つき、ぶらぶら休憩したのち、1時間に1本のバスで駅へ戻ることにする。
地蔵堂から足柄峠を越えるのは次回の課題ということで。
最後にまとめの1枚をどうぞ。
Google earthにログを貼り付けると、古道の様子がよくわかるってもんですよ。
いやあ楽しかった。
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