2015/01/03

お正月の世田谷城址

元旦、FaceBookで「今、豪徳寺前の空き地が臨時駐車場として開放されてるよ」情報を受け取ったのである。
たぶん3が日の特別措置だろう。
それを見た友人らが2日に訪れたらしい。

実はこういう事情である。
まず地図をどうぞ。
国土地理院地図より。赤い斜線部が臨時駐車場エリア

世田谷城址公園の解説板に手を加えたもの。郭(B)エリアがみたかった非公開部分。

豪徳寺駅前の数年前に整地された空き地の奥に、
世田谷城の土塁や空堀の遺構(上記「郭(B)」)が顔を出しているのだ。

ただそこを観に行くのは豪徳寺前の空き地を抜けねばならず
普段は閉鎖されてる(まあロープが張られているだけだが、一応立ち入り禁止)のである。

その空き地が臨時駐車場になってるため、郭(B)のすぐ横まで行けるではないか。
早速出かけることに。

ちなみに世田谷城は室町時代の吉良氏の居城。14世紀とも15世紀ともいわれる。
その後、後北条氏の傘下に入り、小田原城が落城する1590年まで使われた。
北は北沢川、南は烏山川に挟まれた城を築くにはよい場所で
烏山川が大きく湾曲する舌状台地(まあ岬みたいなとこ)にあり、
その突端部分が残っていて、江戸時代から城址として有名で、
世田谷城址公園として公開されてる。
その裏にある豪徳寺も世田谷城の一部だったといわれている。
混沌の屋形風呂: [古道]東京古道散歩講座の下見を兼ねて

正月は参拝客が多く、普段は閉められたままの門も開いてて新鮮。
でも境内より先に城址である。
臨時駐車場に入る。奥に見えるのが復元土塁(たぶん)。右手が豪徳寺団地。

臨時駐車場から右手を見ると、豪徳寺団地と豪徳寺参道の間に土塁が残ってるのだ。

その奥には最近復元した土塁とおぼしき盛り上がりが。
ここ、2014年春のタモリ倶楽部でロケしてた場所である。
混沌の屋形風呂: [テレビ]タモリ倶楽部が全編世田谷城だった
それを見た我々はみな「あそこに入りたい」と思ったものである。

で、行ってきた。
さて、実際問題として、臨時駐車場としてしつらえられた空き地の奥は
どこまで入って構わないのか。
まさか、駐車場よりそっちが目当てでやってくる人なんて想定してないだろうし、
特に立ち入り禁止とも書いてないし、かといって勝手に入ってよさそうでもないし、
そこは触れないでおくことにする。
土塁と空堀!
豪徳寺に参拝をしたのち、
世田谷城址公園に回り、土塁の上から先ほどの臨時駐車場方面を眺めてみる。


奥の郭まで入れるように公園として整備してくれないかなあ、
いやでも今の剥き出しの土塁跡のままだと何かと危険だよな、
危険だからと行ってきれいに整備されちゃっては風情がなくなるし
普通に保存して、希望者だけ扉を開けてはいれるとかそういうのでいいかも。

夜は部屋に篭もって作例撮り。
18本のマクロレンズで延々とマクロ作例を撮り続ける。
何を撮るとマクロっぽくていいかなあと思ってたのだが、
結局、切手にした。
切手だと大きさがわかりやすいから。


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