そもそも、昨年末、
友だちが「超入門 山城へGO!」という山城散策入門的本を購入、
面白そうなのでわたしも買い、
購入者仲間で「まずは小机城へ行ってみよう」となったのだ。
日産スタジアムにはよく行ったけど、小机城址はいつも横目に見るだけで、いちど行ってみたかったこともあり、総勢5人で小机駅集合したのである。
小机駅からまず日産スタジアムに向かい、鶴見川。
鶴見川を挟んだ丘に、太田道灌が小机城攻めの陣地をおいたのだ。
川は渡らなかったけど、対岸から眺める。
そして、堤防沿いに歩いて行くと、京浜河川事務所の新横浜事業所発見。
「入場自由」と書いてあるので休憩がてら入ったら、
ここがまた面白い。
屋上に出られるというのでお願いすると、
スタッフの方がパネルを持ってついてきて、
遊水池(鶴見川が氾濫しそうになると水門を開けて一帯を池にして水を逃すことで、洪水を防ぐ仕組み)の説明をしてくれる。
年に何回も門が開けられてるんだそうな。役に立ってる。
めいっぱい水が入ると、日産スタジアムが水没して「のぼうのスタジアム」状態になるらしい。ちょっと見てみたいぞ。
さしずめ、日産スタジアムあたりを囲む堤防は「石田堤」ですな(笑)。
で、屋上でシータ。下に目をやると説明を受けているわれわれがおります。
京浜河川事務所新横浜出張所屋上からシータ。Photoshopで注釈を入れてみるテスト。 #theta360 - Spherical Image - RICOH THETA
注釈をちょっといれてみた。
個人的にツボだったのが、事務所脇の通信塔。
何かと思ったら「XバンドMPレーダ」だという。
おお。詳しくはこちらを。最近の雨情報はもっぱらこれ。
→XRAIN雨量情報 地域選択
iPhoneアプリもあるし。
シータを撮った場所がよくわかるかと思う。
このあたりむかしはどうだったか。
明治の地図、昭和の航空写真、最新の航空写真と続けてどうぞ。
鶴見川沿いの低地(ここ、山に囲まれてるけど、実は標高がすごく低いのだ)に
丘陵地があり、その先に小机城が作られたのがわかる。
さらに、昭和まで農地だったのが、新横浜ができ、スタジアムと同時に遊水池が作られて大きく変貌を遂げた様子もどうぞ。
いやはや、それが面白く時間を食ってしまった。
いかんいかん、ってことで小机城址へ。
にしても、第三京浜が思い切り城址をぶった切っててたまらんですな。
ときどきあらわれる案内図にそって横浜線沿いに奥の方へ入ると、
狭い道の奥に斜面があらわれる。
ねこや(根小屋)あとだ。そこから坂を上り、空堀を土橋で越えて本丸である。
ここもシータで。
小机城本丸へシータ - Spherical Image - RICOH THETA
いやあ、空堀がすげー深くて、縄張りもきれいに残ってて
面白い!
あまり観光地化もされてなくて、それも含めてお勧めの散歩ルート。
空堀を歩くとかもう楽しいっす。
ここまできれいに残ってるとは思わなかったもの。
土地所有者19名、ってのもたまらん、昭和の案内看板。個人所有の土地を開放してくれてるのだ。 |
その後、後北条氏の時代に重要な城としてその家臣が城主となった。
こういう城は必ず街道筋に建てられるわけで(そうじゃないと意味ないし)、
当初は江戸と鎌倉、後に江戸と小田原を結ぶ道が近くを通っていたはずだが、
当時の道筋がめちゃ気になるところ。
中原街道が近いので、当時の中原街道はこのあたりで小机を通っていたのかもしれないし、
神奈川のあたり(小机から南南東方向)に権現山城があってそこでも合戦があるので、
そちらと小机の関係も気になるところ。
いやあたまらんですな。
戦乱期の関東地方はもう群雄乱立しすぎて戦いばかりでややこしいので
一度頭の中を整理しなきゃなあ。
と、帰宅して、古本屋で入手した
昭和56年の「歴史と旅8月号 関八州古戦録特集」を読む。
ちなみに「山城へGO!」とあわせて千田嘉博氏の「戦国の城を歩く」を読むと
行ってみたくなります。面白い。
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