「社伝によると」といいだすといくつあるか数えるのも大変だが、
確実にその頃存在していたとなると
当時の文献に名前があるもの、となる。
日本書紀や続日本紀、日本三代実録に名前がある神社、
延喜式に登場するいわゆる延喜式内社。
六所宮に名前の上がる6つの宮。
○六所宮
律令の頃、
各国に一宮から六宮までの神社をさだめた。
それらを一箇所にあつめたのが六所宮であり、総社。
武蔵国の六所宮は府中の大国魂神社で、
昔は六所宮と呼ばれていた。
その内訳は
→由緒・歴史|大國魂神社
によると
本殿の両側に国内著名の神、六所ろくしょ (小野大神・小河大神・氷川大神・秩父大神・金佐奈大神・杉山大神)を奉祀して六所宮とも称せられるようになった。である。
一宮:小野大神←小野神社。これは府中に近い。多摩川近く。多磨郡。
二宮:小河大神←あきる野市の二宮神社。多磨郡
三宮:氷川大神←いうまでもなくさいたま氏の大宮の氷川神社。足立郡。
四宮:秩父大神←秩父神社。秩父郡。
五宮:金佐奈大神←金鑚神社。児玉郡。埼玉県。
六宮:杉山大神←横浜市の杉山神社(いっぱいあるけど、大国魂神社としては緑区の杉山神社を指している)。都筑郡。
この中で一番デカいのは氷川神社であり、氷川神社は武蔵国一宮を称しているが、
大国魂神社の記録では三宮である。
おそらく、途中で氷川神社が一宮になったのだろう。
当初、氷川神社が三宮扱いだったのは、多磨郡に国府がおかれたのと無関係ではない、政治的なアレかと思う。
○多摩武蔵野スリバチ学会 あきる野FW
朝10時15分に五日市線東秋留駅集合。
10数名集まる。
駅から歩いてすぐの二宮神社を訪問。
平井川+多摩川と秋川によって作られた秋留台地の東の縁にという
見事な場所に鎮座している。
小河神社ともいうが、気になったのは境内にある
荒波々伎(アラハバキ)神社。足神様と書いてある。
非常に古い神様で、由来は諸説有るが、一般に足の神様。
我々街歩き組も参拝。
アテる文字は神社によって違うが、東北を中心に幅広く存在している模様。
→アラハバキ - Wikipedia
二宮神社を下り、湧水がつくるちょっとした水路や池を楽しみつつ、
八雲神社へ立ち寄り、また駅へ。
このあたり、湧水・水路・池が豊富にあり、水に恵まれて発展した土地だったのだなあと思わせてくれる。
ここからは電車で武蔵五日市へ向かう。
○延喜式内社
延喜式内社一覧を見ると面白い。
→武蔵国の式内社一覧 - Wikipedia
今の東京都はかつての
・荏原郡
・豊島郡
・多磨郡
とその他足立郡や葛飾郡の一部で構成されてるのだが、
延喜式に登場する神社は
荏原郡:2社
豊島郡:ゼロ
多磨郡:8社
豊嶋郡のゼロも驚きだが(ちなみに中央区も新宿区も豊嶋郡)
多磨郡は面積が広くて国府が置かれていたこともあったか8社もある。
多磨郡の8社は3社を除いて「論社」がある。今のどの神社を指しているかはっきりしないってことだ。
残る3社のひとつが「阿伎留神社」。
あきる野市の語源。あきる野市は平成になって秋川市と五日市町が合併してできた市だが、
謎の合成市名や衝突を避けた無難で地縁を感じない市名(西東京市とか!)ではなく、
古い「あきる野」という地名を持ってきたという点で、
非常に素晴らしい。
○武蔵五日市を歩く
電車に乗った一行は終点の武蔵五日市駅で降りる。
ここで街道沿いの店で昼食をとる。
あきる野といえば「阿伎留神社(あきるじんじゃ)」である。
五日市の、秋川が作った崖の上にある。
街道から奥に入り、秋川へ向かうと、台地の端、あとちょっとで秋川へ降りる急斜面という絶好の場所に鳥居が現れる。
街道は北にあるが鳥居は東向き。社殿は南向き。
宮司さん(だと思う)によると、街道からぐるーっとらせん状にカーブした参道なんですという。
台地上から川に向かって社殿があるのは一般的で、
往古は川沿いの低地から上って参拝していたんじゃないかという気もする。
平安時代にはあった神社で詳細はなぞだが、
主祭神は
大物主神(おおものぬしのかみ)
味耜高彦根神(あじすきたかひこねのかみ)
建夷鳥神(たけひなとりかみ)
天児屋根命(あめのこやねのみこと)
であり、最初の三柱は出雲系の神様のようだ。
その後、藤原秀郷が春日神(天児屋根命(あめのこやねのみこと))を祀って四柱になったようだ。
古社らしい佇まいがよい。
神輿庫にある六角形の神輿も見せていただく。
こちらは江戸時代の六角形神輿。
阿伎留神社から崖沿いに歩いて駅前に戻り、そこから五日市街道の旧道をたどって
山間の旧道に欠かせない野仏群に手を合わせつつ、
大悲願寺へ。
鎌倉時代、源頼朝が平山季重に作らせたと伝わる。
武蔵七党のうち、西党の武将。平山城址公園の平山城の平山である。
ここがまた狭い渓谷の急斜面という地形的にたまらん位置にあり、
広い境内を持つ古刹。
山門の天井画や観音堂の極楽絵・地獄絵がよい。
大悲願寺を降り、五日市街道旧道を歩いて岩走神社。
このあたりは伊奈村といい、平安時代後期の1152年、に信州の伊奈から移住してきた石工たちが開拓した故の名だという。このあたりでとれる石は伊奈石として有名だった。
伊奈の人たちが、信州戸隠神社の「手力男命(たぢからおのみこと)」を勧請したのがはじまりという古社だ。
ここからはバス。
みなは途中で降りて白滝神社や酒造をめぐって宴会に突入するそうだが
わたしは昨夜あまり寝てないこともあって体力的にかなりアレなので
ここで分かれ、秋川駅からちょうどいいタイミングできたホリデー快速(これがまた混んでるんだ)を利用して帰宅。
GPSログはこんな感じ。
東秋留駅から秋川駅までで、途中電車やバスを利用した分も記録されております。
伊奈から二宮神社のあたり、河岸段丘で住みやすそうだなとか
五日市になると急に山の中だな、などなど地価系図と一緒に見ると感慨深い。
疲れたので寝る。ばたん。
0 件のコメント:
コメントを投稿