付き合う。
村尾嘉陵の「江戸近郊道しるべ」にある「谷中に遊ぶ記」の道筋を辿ってみようと思ったのである。
「谷中に遊ぶ記」は谷中にある4つのお寺を回るだけのたった4ページ(東洋文庫版)の短い紀行であるが、サンプルとしては短くてよい。
地下鉄の中でGoogleMapsに回るべき寺(全部現存してた!)に☆をつけ、
参考にする。
iPad版東京時層地図+Skitch |
言問通りを歩き、藍染川跡を渡ってすぐ、右手に天眼禅寺あり。
嘉陵が詣でた太宰春台の墓を尋ねる。
嘉陵が江戸時代後期に描いた墓石はそのままだ。
天眼寺のはす向かいに玉林寺。
嘉陵が詣でた中村蘭山の墓は見つからず。
残念。
徳川家光の頃はここからの眺望がよく、不忍池まできれいに見えたらしい。
つづいて、東京時層地図を見ながら、村尾嘉陵の当時からあったと思われる細い道をはいる。ヒマラヤ杉の三叉路につながる道だ。
そこからさらに奥へ行くと領玄寺……であるが、
わたしはアホなので間違えました。
突き当たりにある寺としかチェックしてなかったので
間違えて、ひとつ手前にある蓮華寺を訪れてよしとしてしまうというていたらく。
あほすぎます。
領玄寺はさらに奥なんだってばー。
後日、再挑戦しなければ。
今昔散歩より。瑞輪寺も玉林寺も当時はでけー。 |
そして嘉陵本の記述通り、そこから少しそれて、瑞輪寺。
江戸時代は山門に続く道の両脇に立派な桜が連なってたそうであるが、
もちろんおもかげなし。
残念。
奥に見えるのが瑞輪寺。江戸後期は桜並木だったらしい |
ひとつ間違えるとはアホにもほどがあるというもの。
いくら谷中が寺町で寺だらけとはいえアホすぎます。
寺の名前くらい毎回チェックしろよ>自分
今頼まれてる、iPhoneで古地図散歩する本のサンプルにしたかったのに……
また作業が遅れます申し訳ない>関係者
その後、初音通り(でいいのかな)を日暮里方面へ北上し、
明治維新時の弾痕を見たのち(このお寺、上野戦争時、上野から逃れてきた彰義隊をかくまったため、新政府軍に銃撃を受けたんだそうな。その当時の弾痕が残っている)、
↑今日のシータ。クリックするとパノラマが開きます↑ |
チョコレートケーキを喰らい、
ちょいと夜の猫を撮影して帰宅。
iPhoneで古地図散歩する本の構成を考えて、
サンプルとなる章を書いてて、
間違いに気づいてorzとなってフテネする。
0 件のコメント:
コメントを投稿