2015/01/15

仕事してた日

エイ出版のMac入門的なムックの仕事でエイ出版へ。
そういえば先日打ち合わせにいったときも天気が悪かったなあ。
あそこ、
うちから自転車だと30分弱ですっといけちゃうけど
公共交通機関を使うとめんどくさいのだ。
この雨だと自転車で行くわけにもいかず、
駅前からバス。
都内のバス移動もまた楽し。

スタジオでキリッとした美人さんとMacを前にあれこれポーズをつけながら撮影される。
ああ、もうちょっと派手な服着ていけばよかった。まいっか。

帰宅して、
ascii.jpに猫連載書いて、
さらにレンズ本の残りの19本分を書き上げて
ちょっとだけ仮眠する。


2015/01/14

仕事してた日

さてそろそろ仕事はじめか←をい
晋遊舎から出るレンズムックの自分の担当分を
作例とにらめっこしながら
ひたすら書く。
レンズ30本(くらい)とレンズの使い方コラム系4ページ。
そのうち、
なんとかレンズ11本とコラム4ページ分をなんとか仕上げてメール。
家から一歩も出ず。

2015/01/13

下高井戸の菅原神社と弁天池跡

朝から都内某所の某で某。そういう季節です。
ついでに、flick!別冊(でいいのかな?)のムックの打ち合わせ。
そろそろ気合いをいれないとダメっぽい。

帰途、
京王線の駅から自転車で足を伸ばして
下高井戸の弁財天池跡の公園と、その弁財天が遷座したという菅原神社を回る。
なるほど、そこに弁天池があったのは知ってたが、
昭和39年に菅原神社に移されたのか。
国土地理院地図より。よーくみると等高線があって小さな谷だったのがわかる支流跡。

その弁天様は江戸時代の元禄15年に勧請されたもの。
菅原神社より古かったんだな。

そうそう、「菅原神社」は菅原道真を祀った、いわゆる天満宮。
普通は地名をつけて「〜〜天神」か「〜〜天満宮」とするし、
中野区にあるように「北野神社」(北野天満宮から勧請したからだろう)
とするのだが、
「菅原神社」ってのはちと珍しい。地域によっては多いんだろか。
なぜこの名前になったか、ときどき気になるのであった。

ちなみに弁天池の跡地は小さな谷戸になってて、水が湧いていたんだろう。
その水は北沢川に注ぎ込んでた。

今でも北沢川まで暗渠が続いてる。
そんな暗渠めぐりをして帰宅。

そろそろ尻に火がついてきたので
仕事にとりかかり←もう1月を10日も過ぎてるのに遅すぎます
家電批評に短い記事をひとつ書いてメールして寝る。

「ケルビン・ヘルムホルツ不安定性にともなう波雲」というらしいです



1月7日の夕空。
「ケルビン・ヘルムホルツ不安定性にともなう波雲」
というらしいです。
成長過程がきれいに並んでたので、手元にあったDMC-CM1で撮影。


2015/01/12

KITTE

広島県に住んでる妻の従兄弟が上京してきてるというので
ランチを食べにKITTEへ。
妻の従兄弟といってもわたしより年上なので、その娘夫婦とその子供たちとか息子とかで大人6人子供2人赤ちゃんひとりの大所帯なのであった。
でもKITTEの中に大所帯を収納できるお店があったので
そこでのんびりさせてもらう。

で、妖怪ウォッチってあらゆるこどもたちを虜にしてるんだなってのを実感する。
会う子供会う子供、みんな妖怪ウォッチ好きなんだもの。
すごいもんだ。

子供達が電車好きだというので(というかまあ普通は好きだわな)
KITTE屋上へ。
東京駅前のロータリーが大工事中だった。
人が集まれるような広場ができるといいんだが、むりか。

にしても、東京駅も復元されたはいいものの、
回りをデカいビルに囲まれちゃったおかげで冬は日陰にすぐはいっちゃって
なんとも時代の流れである。
旧丸ビルや旧中央郵便局時代はもっと陽射しが当たってたろうにと思う。

帰宅して昨夜梱包した段ボールを発送する。
ああ、なんか今年にはいって原稿を全然書いてないぞ。やばいな。収入的に。。。



2015/01/11

レンズたくさん箱詰めした

日曜日。
昨年末、大量に届いたレンズとボディ。
一部はすでに返却していたものの、
残っていたボディ6台とレンズ20本ちょっとをかきあつめて段ボールに詰めこんで
あとは発送するだけにして寝る。
昼間は何をしていたかというと……何をしてたんだろう。
わはは。たぶん、レンズ返却前の最後のメモ作成などをしていたかと思う。
たくさんあるとメモっとかないと忘れちゃうのだ。原稿はまだ書いてないのだから。

写真は「我が家の猫塚」。
この中に入っているのは大五郎であります。
毛布の中に潜り込むのが好き。

2015/01/10

[古道散歩]東京古道散歩の日-品川道編-

晴れ。
新潮講座「東京古道散歩」の日。

飛田給駅集合。
27人も集まってくれましたありがとう。
スタッフもいれて30人の大所帯。
ここから大国魂神社はちょっと歩くけど、
この駅、品川道の真上を斜めに横切ってるから
都合がよかったのだ。

そこから品川道を延々と歩く。
江戸時代、このみちは飛田給で甲州街道とつながり、
東府中でまた甲州街道とつながってた。
バイパスとして、じゃなくて、江戸時代初期、
まだ甲州街道がきちんと整備されてなかった頃、
古くから使われてた品川道が一部甲州街道の代替として使われていたらしい。

甲州街道が開通した、と年表に書いてあっても、
実際、全線開通かどうか、どこからどこまでが古い道を使ってて
どこからどこまでは新規に道を拓いたのか
その辺がわからないのがちともどかしいのだよな。

この品川道自体はどうやら中世の頃に拓かれたようで、
その前はもっと立川崖線に近いギリギリの道が使われていた。
それを「古品川道」と呼んでる。
下の地図だと、本願寺前のあたり。

崖線ギリギリだと谷を越える必要があったり
災害で崩れやすかったりしただろうから、
谷越えが不要な「品川道」にシフトしたんじゃないかと思う

実際、品川道と古品川道とおぼしき道の間に古墳や古代の集落跡が集まってて、
古代は立川崖線ギリギリに、中世はその少し北、
近世はさらに北の甲州街道沿いにと
少しずつシフトしていったのだ。
地形を見るとよくわかる。


その辺の面白さを味わいつつ、
大国魂神社(歴史を調べると、ここも武蔵総社とか六所宮と呼びたくなる)
で、ちょっと休憩して、
さらに足を伸ばして、坪の宮神社、高安寺と経て
少し暗渠をあるいて分倍河原駅南口で解散。
南口にしたのは、新田義貞公の像があるから。


その後、もうちょっと足を伸ばして分倍河原の古墳めぐりと称して
ちょっと散歩。
小さな古墳を2つ見たあと、地元の参加者が「放置されてる古墳をひとつ知ってる」というので、さらにレアな古墳へ。
おお。めちゃ何気なく残ってるじゃないかこれは素晴らしい。

そして分倍河原駅前で宴会……もとい、反省会へ突入。
今回はじめて参加してくれた夫妻が、
実は昔から(それこそ90年代末期)わたしのサイトを見てくれてて、
当時、デジカメ黎明期に撮った世田谷界隈の写真を見て一緒に楽しんでたそうで、
なんと芦花公園に昔いた「にーに」(猫です)のことも知ってて、
めちゃ盛り上がる。なんとなんと、である。
次回以降もきてくださるそうでありがたや。



2015/01/09

打ち上げでポルトガル料理

昼間、ちょいと作業。
夜、西麻布でアサヒカメラ鼎談連載終了に伴う新年会兼打ち上げ。
赤城さんとかまつうらさんとか担当の編集さんと
ポルトガル料理。

いやあ、ポルトガル料理の店ってはじめてきたけど、美味しくて
ラテンっぽく豪快でいいわ。
ポルトガルビール

イベリア半島といえば魚介!

よくわかんないけど海鮮の鍋

食べ終わったら貝塚誕生w
でもって、シメは鍋のブイヤベースにお米をいれておじや。
ポルトガル料理でおじやで締めるとかもうたまらんですわ。
ポルトガルって、ヨーロッパで2番目にお米を食べる国らしい。
(2番目だっけ? 1番だっけ?。ちょっと酔ってたのでよく覚えてない)
ここでした。
ポルトガル料理 VILA NOVA ヴィラノヴァ 西麻布 - ポルトガル料理 ヴィラノヴァ 西麻布

帰りは西麻布から渋谷までバスに乗ってみる。
渋谷のバスターミナルが工事中で方向感覚が狂う。

バスついでに、経堂までバスで帰ることに。
ああ、東急プラザも壊しちゃうんだよなあ。
わたしが上京して最初に見たときはやたらきれいで建てたばっかだと思ってたが、
それはリニューアルしたばかりの姿で、
元は1965年に建てた古いビルだったらしい。
そうか、昭和40年か。もう建て替えの時期なのか。

今日の写真はCM1でした。
これ、デジカメを持っていくほどではないけど、
iPhoneだけだとちょっと心許ないな、スナップカメラが1台欲しいな
って感じの時にちょうどいい。

2015/01/08

東京古道散歩下見の日

土曜日の「東京古道散歩」下見の日。
えんえんと飛田給から歩く。さすがに品川道を歩いてるだけじゃ退屈なので
ちょっと崖線上の古品川道に寄り道したりすることにする。

大国魂神社はまだお正月の続きで参拝客多し。
出店もいろいろ。

歩いているといろいろと疑問が生じる。
「ふるさと府中歴史館」で学芸員の方を捕まえ、
あれこれ尋ねると、丁寧に教えてくれる。
ありがたや。
府中第四小学校西にあるこの古塚はやはり古墳だったか。


主に、品川道と古品川道と甲州街道の関係。
大国魂神社の歴史。
古墳群の話。

いやはや、地元の学芸員の話は非常に面白い。
最近、街歩きが流行っているせいか、
あれこれ尋ねられることが多いのですと楽しそうに語ってくれた。

その後、高安寺に立ち寄り、
分倍河原駅を越え、鎌倉街道上道(陣街道)まで足を伸ばし、
鎌倉街道上道沿いの木に抱え込まれた板碑がいつの間にかレプリカに入れ替わっていたことを哀しみ、

当日ここまで来ると長すぎるよね、おまけツアーにしますか、という話になって終了。

そうそう、分倍河原駅北口改札。
JR改札、京王線改札、JRと京王線の乗換改札がスター型に置かれてて面白いのであった。



2015/01/07

少年マガジンの電子化に悦んではみたものの

講談社が全コミック誌を電子書籍として配信ってニュースが飛び込んできたのである。
おおっ
講談社、全漫画雑誌を紙と同時に電子化へ 「ヤングマガジン」など3誌からスタート - ITmedia ニュース

同社の「モーニング」のデジタル版「Dモーニング」の愛読者としてはまことによろこばしい限り……と思ったのだが、よく見ると「Dモーニング」とはかなり違う。
マガジン・ヤンマガ、2015年1月より電子書籍化!


1)配信方式の違い
・Dモーニングは専用アプリへの配信で、1ヶ月あたりの課金である。
・少年マガジンなどは一般の電子書籍と同じく各種電子書籍サイトへの配信であり、1冊ごとの課金となる。
→専用アプリは不要だが、1冊ごとに買わねばならず電子書籍サイトによっては購入がめんどくさい

2)価格の違い
・Dモーニングは1ヶ月あたり500円(つまり約4冊で500円)で自動継続扱い。AppleIDで決済できる。これは安い!
・少年マガジンは各種電子書籍サイトでの電子書籍としての配信であり、価格は紙媒体と同じの予定である。アップルのサイトの場合、雑誌用の「NewsStand」ではなく「iBook」での配信となる。この辺がナゾ。
→つまり、割安感はない

 えーーーっ。
 Dモーニングってすごくよくできててよかったのに。
 月500円だからすごく割安だし、月ごとの課金で、アプリを立ち上げると自動的に最新号がダウンロードできるのでいちいとストアへ行って購入する手間がないしですごく使いやすかったのに。全雑誌をこの方式でやるとコストがかかりすぎるのですかねえ。
 これじゃあ単にデジタル化しました、ってだけで、残念である。
 よい先行事例がある分、よけい気になる。

 電子書籍サイトだと、他の電子書籍とごっちゃになっちゃうから管理もめんどくさいし、毎号手動で購入するのもめんどくさいし、価格的なメリットもない。そもそも単行本向けの設計だし。ただ、1冊ごとに買えるので、バックナンバーの買い逃しには対応できる。メリットはそのくらいか。

 うーむ。ちょっと拍子抜けだったなあ、単にデジタル化しての配信もしますよ、というだけだったなあ、どうしようかなあ、というところ。
 せめて、NewsStandアプリにできなかったか。

 ちなみに、一番簡単なのがAppleIDで買えるiBookStoreなのだがそっちだと300円になる(これはストアの問題なのだが、実売の260円より割高なのは問題)。

 もうひとつ電子化で問題となるのは、電子版だと掲載されないコンテンツがあること。
 アイドルの写真などはまあおいといて、
 Dモーニングでは浦沢直樹作品や井上雄彦作品が掲載されてない。紙媒体オンリーとなっている。
 週刊少年マガジンは、「はじめの一歩」が紙媒体オンリーとなるそうな。
 これも残念。

 浦沢直樹に関しては、年末のハフィントンポストのインタビューでちょっと答えてる。
「読者がお金を払わなければ、"あるべき関係性"が結べない」――漫画家・浦沢直樹さんインタビュー

具体的には2つ。
浦沢:うーーーーん。「問題意識」というほどのことかどうかはわからないんですけど、僕は作品を1回も電子書籍化したことがないんですよ。紙媒体だけでやっている残り少ない原始人(笑)は、もう本当に、数えるほどという感じ。なぜやらないのかというと、第一に画面の小さいスマホで読んでほしくない。それと、漫画って見開きで読む形態なので、それがキープできない媒体では、見てほしくないんですよ。見開きの状態で眼がどういう風にページ全体を追っていくのかが漫画の演出だと思うので。ただそれだけなんですよ。
それから、今は無料で読める漫画っていうのがあるじゃないですか。僕の今まで生きてきた感じからして、「タダで見る」ってことがどうしても、しっくりこないんですよね。漫画というのは、高いものだったんですよ。僕らが小学生の頃は単行本が220円から250円くらい。とてもじゃないけど、買えない代物だったんですよね。本屋も立ち読みさせたくないから、子供の手が届かない高い棚に並べてた。それを眺めながら「いいなあ、お金が貯まったら、あの単行本がほしいなあ」って憧れていたんです。そういう世代なので、「タダで見る」って、それ漫画の見方じゃないよな、って。 
うーむ。

前半に関しては全面的に賛成。見開きをきちんと意識して描かれた作品は見開きで読みたいし、わたしが漫画をiPad Airで読むのは、あのサイズと解像度だと「横向きにして見開き表示にしたときちょうどいい」から。あれだと見開きで快適に読める。
作者が左右ページの構成を意識して描いていたら、その通りに読む方も受け取れる。
一時期ケータイコミックで流行った、コマごとに割って1コマずつ読むとかもうありえんですわ。という感覚はある。

 後半に関しては……電子書籍化とは別の問題な気がする。

で、だったら、「浦沢作品だけは強制的に見開き表示になる」という縛りをつけてもいいから、Dモーニングに出して貰いたいわ。
もちろん、単行本は紙で揃えたいものは紙で買うし、電子書籍でいいものは電子書籍で買う。それは自分で決めます。

個人的には、作家が作品をどういう形で届けたいかは作家の自由であるからして、電子書籍化はしばらくしません、というならしょうがない。

ただそれは、単行本の場合で、
雑誌ではどの作品も全体の一部にすぎないわけで、
そこはそのまま出して欲しいですよと思う次第です。

昔から、雑誌こそ一番電子化に向いてる、と思ってたし、
たぶん、どっかで書いたこともあるし、ブログでも書いた。
Dモーニングはそのいい例だ。
でも、
単にデジタル化して電子書籍ストアに他の本と一緒に並べます、
レベルで終わったらとても残念。

と文句ばかりいっててもアレなんで
一応買ってみました。


紙雑誌とは表紙が違う(笑)。
まあ大島優子側の許可がとれなかったのでしょう。
雑誌の電子化も大変なようです。
ともあれ、単なるデジタル化ではなく、
デジタル時代の雑誌に進化していって欲しいなあ。



2015/01/06

ブラタモリの日

曇りのち雨
雨が降る前にと11時からエイ出版で打ち合わせ。
自転車で行く。
降らなければ馬事公苑で作例を撮って戻るつもりでカメラを持っていくが
降雨のため断念。小雨の中帰宅。

ブラタモリ復活の日。
ってのを録画予約かけたまますっかり忘れてたのだが、
FBで「今日はブラタモリだ」的コメントを見て
あわててテレビをつけたのである。

ブラタモリ京都編。
いやあ、地形ネタがメイン(だよね?)とは。
まずは琵琶湖疎水から。
疎水といえば南禅寺。
南禅寺の水道橋の上を歩いておりました。
実はそこ、だれでもはいれる場所。

わたしも2008年の冬、
南禅寺の水道橋の上で昔(2008年!)、パノラマを撮ったなってことを思いだし、ひっぱりだそうとしたら、撮っただけでステッチしてなかったー。あほだ。
あらためてステッチしなおそうとしたら、
当時使ってたPTGuiのライセンスが切れてて、
ライセンスとりなおすのも金かかるので、
とりあえずトライアル版のままequirectangular画像にし、
THETAアプリにつっこんでtheta360で公開。
THETAで撮った画像じゃなくてすみません>リコー
円形魚眼で撮った全天球パノラマ用の画像をequirectangularにするフリーのアプリ
なんかいいのないですかねえ。
そうすると昔撮ったパノラマ用の元データを活かせるもの。


南禅寺の水道橋の上から全天球パノラマ - Spherical Image - RICOH THETA

ブラタモリはその後インクラインへ行き、なんと当時の映像まであり、
さらに新京極。
ここまでは明治初期の話。

最後は秀吉が作った「お土居」。
秀吉が京都の回りを土塁で囲んだのだ。

昔の京都といえば平安京だけど、
今の京都のベースは実は秀吉が整備した街で、
平安京に比べると、少し東にずれてるのだ。

お土居は知らなかったなあ。

個人的には、平安京時代の京都までさかのぼって欲しかったけど、
まあ、ブラタモリ的で面白かったし、
タモリも楽しそうだったのでよしとしよう。


2015/01/05

充電ケーブル買った

とりあえず初仕事っぽく、
GetNaviからTHETA+シータ棒の作例とコメントを求められていたので、
あれこれそれっぽいのを探してスクリーンショット撮って
コメントも書いてメール。

新年早々Amazonを覗いたら、cherroのダンボーUSBケーブルの在庫が復活してたので注文したのだが、それが届く。
まあ、Lightning対応なのでお値段もそこそこするけど、
50cmほどで、microUSBとLightninguの両方に対応できるのがひとつ欲しかったのでちょうどいい。
届いてみると、ケーブルも丈夫そうだし、目が光るし(充電中は目の色が変わる!)、外出時はこれ1本ですみそう。


ちなみに、よつばと!を読んだことはないのでダンボーってなに? と聞かれても困ります。




2015/01/04

元旦のNHK番組を2つ、やっと視聴する

芦花公園でちょいと追加作例撮って、
返却期限が迫ったカメラだけまとめて梱包して
発送する。
なんかもう普通に仕事はじまってますよ。

夜、一息ついて、
正月に撮りだめたビデオをみはじめる。
全部NHKですが。
ひとつはNHKスペシャルの戦後70周年もの。
わたし的には「タモリスペシャル」。
タモリがちょっとでもステレオタイプな見方からはずれたことをいうと
すかさずツッコミを入れて深く聞き出そうとする有働アナがまた素晴らしい。
もうひとつはその裏番組、NHKBSの東京凸凹もの。
わたし的には「皆川スペシャル」(笑)。
東京スリバチ学会の皆川会長がロケ部分を担当して
東京中を歩き回ってたのが面白い。
今までその手の番組って大学の先生が解説陣として出てきたもんだけど、
スタジオに今尾さん、ロケ隊に皆川さんだもん。
面白いですよこの流れは。

この2本の番組を見て、
ああ、自分は
人間のために作られた街の隙間にひっそりと生きてる猫を見つけたり
きれいに植えられた樹木がやがてアスファルトを割り、
道路を凸凹にしていく姿を愛でたり
もう不要だからと埋められて見えなくなった川の痕跡を辿ったり
無数に張り巡らされた道路網の中にひそかに残る古道を見いだしたり
土木工事や密集した建物で隠された地形を探ったり
そんなことが好きなのだなあと思ったりしたのである。

もうひとつ、
ああ、そういえば、みんなで同じ方向を向いて同じように頑張ってる社会は
超苦手だったなあ、それを思えばバブル崩壊以降の方が確かに面白いなあ、
と。タモリスペシャルで印象に残ったのはそれ。

さらにSONYのレコーダーが自動的に録画してくれた
NHKスペシャルと英雄たちの選択とタイムスクープハンタースペシャルも
見たいのだが、いつになることやら。


2015/01/03

お正月の世田谷城址

元旦、FaceBookで「今、豪徳寺前の空き地が臨時駐車場として開放されてるよ」情報を受け取ったのである。
たぶん3が日の特別措置だろう。
それを見た友人らが2日に訪れたらしい。

実はこういう事情である。
まず地図をどうぞ。
国土地理院地図より。赤い斜線部が臨時駐車場エリア

世田谷城址公園の解説板に手を加えたもの。郭(B)エリアがみたかった非公開部分。

豪徳寺駅前の数年前に整地された空き地の奥に、
世田谷城の土塁や空堀の遺構(上記「郭(B)」)が顔を出しているのだ。

ただそこを観に行くのは豪徳寺前の空き地を抜けねばならず
普段は閉鎖されてる(まあロープが張られているだけだが、一応立ち入り禁止)のである。

その空き地が臨時駐車場になってるため、郭(B)のすぐ横まで行けるではないか。
早速出かけることに。

ちなみに世田谷城は室町時代の吉良氏の居城。14世紀とも15世紀ともいわれる。
その後、後北条氏の傘下に入り、小田原城が落城する1590年まで使われた。
北は北沢川、南は烏山川に挟まれた城を築くにはよい場所で
烏山川が大きく湾曲する舌状台地(まあ岬みたいなとこ)にあり、
その突端部分が残っていて、江戸時代から城址として有名で、
世田谷城址公園として公開されてる。
その裏にある豪徳寺も世田谷城の一部だったといわれている。
混沌の屋形風呂: [古道]東京古道散歩講座の下見を兼ねて

正月は参拝客が多く、普段は閉められたままの門も開いてて新鮮。
でも境内より先に城址である。
臨時駐車場に入る。奥に見えるのが復元土塁(たぶん)。右手が豪徳寺団地。

臨時駐車場から右手を見ると、豪徳寺団地と豪徳寺参道の間に土塁が残ってるのだ。

その奥には最近復元した土塁とおぼしき盛り上がりが。
ここ、2014年春のタモリ倶楽部でロケしてた場所である。
混沌の屋形風呂: [テレビ]タモリ倶楽部が全編世田谷城だった
それを見た我々はみな「あそこに入りたい」と思ったものである。

で、行ってきた。
さて、実際問題として、臨時駐車場としてしつらえられた空き地の奥は
どこまで入って構わないのか。
まさか、駐車場よりそっちが目当てでやってくる人なんて想定してないだろうし、
特に立ち入り禁止とも書いてないし、かといって勝手に入ってよさそうでもないし、
そこは触れないでおくことにする。
土塁と空堀!
豪徳寺に参拝をしたのち、
世田谷城址公園に回り、土塁の上から先ほどの臨時駐車場方面を眺めてみる。


奥の郭まで入れるように公園として整備してくれないかなあ、
いやでも今の剥き出しの土塁跡のままだと何かと危険だよな、
危険だからと行ってきれいに整備されちゃっては風情がなくなるし
普通に保存して、希望者だけ扉を開けてはいれるとかそういうのでいいかも。

夜は部屋に篭もって作例撮り。
18本のマクロレンズで延々とマクロ作例を撮り続ける。
何を撮るとマクロっぽくていいかなあと思ってたのだが、
結局、切手にした。
切手だと大きさがわかりやすいから。


2015/01/02

名古屋散歩と繁忙期の新幹線自由席の乗り方

東京へ戻る日なのだが、名古屋のお宝新年会に呼ばれたので
それに顔を出してから新幹線に乗ることにする。
危険な選択(笑)。

新年会は18時からなのでそれまで名古屋をカメラを持って散歩。
テレビ塔が寂しくなってたなあ。
アンテナが取り外されてサビシイ姿に。
久屋大通駅を出てテレビ塔を後ろに、北へ向かって歩く。
名古屋城近くにある市政資料館が大正14年竣工のよい近代建築だというが
未見だったのでちょっと立ち寄る。
市政資料館。元裁判所。大正14年。E-M1

ついでに名古屋城、市役所、県庁とぶらぶらして
昔懐かしい地下鉄の入口。奥に帝冠様式の名古屋市役所。帝冠様式っていいわあ。E-M1。

名古屋城のお濠。よくみると……。E-M1

バスで栄へ。バスに乗りたかったもんで。

いやあ、栄もすっかり知らない街になってるわあ。
かろうじて名古屋三越や丸栄。

ショックだったのは明治屋。
建物だけ残してなくなってた。
調べたら、2014年の5月になくなり、いずれ解体されるらしい。とほほ。
明治屋ストア跡地。E-M1
庶民的小学生にとっては、
重厚なビルで高級な輸入食品を売ってるお金持ちのための店で、
母親に連れられて丸栄に買い物にいった帰りに
意味もなく勝手に入り込んで見たことのない缶詰めを
眺めてた記憶があるのである。ああ世の中にはこんな缶詰めもあるんだなあと。
たぶん、コンビーフとかソーセージの缶詰めを見てびっくりしてたんだと思う。

と幼少時代を思い出しつつ思いつつ広小路通りを伏見まで歩き、
ちょっと早かったのでカフェ・ド・クリエで休憩したのち、
ウノでお宝新年会。

「お宝」ってのは「Macお宝鑑定団」のことであり、
名古屋在住or名古屋帰省中の古くてディープなMacユーザー6人で楽しく談笑。
乾杯。THETA m15
半分は初対面の方だったけど、まったく問題なく(たぶん)、
iPhoneの話やらMUGの話やらディープな話やらで楽しく盛り上がる。

毎年1月2日にプチ新年会が開催されてて、
何度か呼ばれていたのだけど、
何しろ猫がいる関係でわたしの日程に余裕がなく、
今回、やっと2回目の参加となったのでした。
21時過ぎの新幹線に乗ればなんとか帰れることがわかったので、
次回からも参加させてもらおう。

で、雪のため新幹線が遅れてるという情報があり、
余裕を持って20時には店を出るつもりが、
気がついたら20時半。うう。
慌てて店を出て名古屋駅へひと駅。
当然指定席はなし。思ったより人が多い。
さてどうやって座って帰るか。

東海道新幹線は本数がやたら多いので、
1~2本やりすごしてもOkなくらいの感覚で並ぶ。
座れる確率を上げるポイントはひとつ。
それは並ぶ場所。
のぞみは1〜3号車が自由席であるが、
上りの新幹線は16号車が先頭なので、
後ろの3両ということになる。16両編成と長いので1〜3号車は端っこである。
新幹線が名古屋駅に着いたら、
降客が全部降りるのを待ってから乗り込む。あたりまえだ。
さて、各車両の扉は2つある。前と後ろである。
降りようとする人はどちらの扉に向かうか。
当然、中心に近い方である。
ってことは、中心から遠い方は降りる人が少ない。
よって、早く乗り込むことができる。
というわけである。簡単な話。
だがしかし、スパークリングワインとワインを飲んで
楽しくホームに立ったわたしは思い切り並ぶ場所を間違えてしまったのでありました。
わはははは。
まあ最終的には1本やり過ごして、次の便で座れたのでよしとする。


2015/01/01

[謹賀新年]あけましておめでとうございます&プチ古道散歩初詣

謹賀新年。
外へ出たら雪がうっすら。
寒いわ。

初詣はぶらぶらと歩いて「一之御前神社」へ。
実家から歩いていける距離なのに
中学高校生時代の行動範囲から微妙に外れてたから全然しらんかったわ。
母親が「こういう神社があるよ」と教えてくれたのだ。

名前からしてなかなかよい。
熱田神宮の中に普段非公開の「一之御前神社」という神社があるそうだが、
それと関係あるかもしれないしないかもしれない。
ただ、伝承では白鳳時代に創建されたと伝わってるとか。
まあ、矢田川沿いの低地で古くから水田があった場所だし、
川を挟んだ台地の上には「長坂遺跡」という
弥生時代後期の集落跡→5~7世紀の古墳、さらに奈良時代の須恵器もたくさん出土してる場所があるし、
雪が降ってた長坂遺跡

5世紀の円墳

7世紀の天狗岩古墳(を移築したもの)。
わたしが中学の時は中に入れたような気がするんだが記憶違いか?

西へ1kmほど行くと、
天武天皇新嘗祭で指定された斉田と伝わる場所やそれにまつわる神社(直会神社や渋川神社)があるわけで、
混沌の屋形風呂: [古道]尾張旭の直会神社と天武天皇新嘗祭の斎忌
その頃から集落があり、農耕が営まれていたと考えて不思議は無く、
なかなか興味深い場所である。

せっかくだから古い道を辿っていこうと
iPhoneで「今昔マップ」サイトを開いてそれに沿って歩く。
古道散歩はじめである。

iPhone 6 Plus。左手奥に見えるのが一之御前神社

そんなわけで
今年もよろしくお願いします。

2014/12/31

大晦日は名古屋で紅白歌合戦

朝から名古屋へ帰省。

2泊3日となるので、猫の餌をやまもりにして飢えないようにし、
水も多めに用意し、
時間があったら作例を撮ろうとレンズ数本とボディ数台をバッグに詰めこみ、
MBAは持たず、iPhoneとiPadだけにし、
さらにこいつは忘れてはだめ。


cheeroの4ポートのACアダプタと、モバイルバッテリー。
どっちも必須。
ACアダプタはずっとエレコムのを使ってたけど、
こっちの方が同じ面に4つ並んでるから使いやすいのだ。
以前Amazonで購入。
で、実は4ポートでギリギリ。
2つは妻がiPhoneとモバイルバッテリー用に(妻はcheeroの薄いヤツを使ってる)
使っちゃうので
残り2つをわたしがiPhoneとモバイルバッテリーと、ときどきiPadやAndroid機に差し替えたりして使う。
まあ、iPadはそれなりにバッテリー持つし、Android機もあまり使わないのでなんとかなるのだ。
ともあれ、電源回りはこいつのおかげで楽になったわ。

モバイルバッテリーはダンボーバージョン。
オレンジ色が出たよーってんで、
cheeroさんがプレゼントしてくれたもの。
容量がでかいので、長時間家をあけるときによいのだ。

新幹線自由席で名古屋へ。
東京駅って始発なので、
「新大阪行きを狙ってちょっと並べば必ず座れる」のだ。
早めに指定席を取ると気が楽なのだが、
今まで
・指定席をとったら妻が風邪ひいて熱出してその日に行けなかった
・指定席をとったらその日が大雪で、在来線が遅れに遅れたおかげで(1時間以上余裕を見たのに)指定した列車に間に合わなかった。
・指定席をとったらわたしが風邪ひいてその日に行けなかった
ということがあり、縁起がよくないということでやめたのである(笑)。

名古屋着。
なんか紅白歌合戦をほげーっと見続ける。
いやあ、
好き嫌いとかこだわりとか得手不得手とかそういうのをぜんぶヌキにして
ぼーっと見ると、けっこう面白いわ。
昔みたいに「その年のヒット曲+大御所が昔のヒット曲を歌う」ではなく、
ヒット曲にこだわらず、全体として楽しく魅せようという構成になってるおかげだと
思うわけである。
NHKヘの貢献度枠みたいなのがあったのはアレだけど、
まあ、時代にあった内容になったということだな。
Perfumeのドローンネタもあったし。
ただ、こういうエンターテイメントな構成と、
男女で赤と白にわけて投票させるという前時代的なシステムの乖離が
甚だしくて、不思議でしょうがない。
いずれ、それもなくなるんだろうな。

ちなみに、今年のあれこれをネタに盛り込んでるので
そういうことにまったく疎いわたしには1年のお手軽な復讐にもなったのでありました。


2014/12/30

都会のタヌキ

晴れたので今年最後の作例撮り。
カメラを4台ほど抱えてぶらぶらと表参道から代々木八幡方面へ。

都会のタヌキ。かわいそうだが疥癬症か。

都会の電車。ローアングルで。

夜は写真を吸い上げたのち、今年最後の大バックアップ大会。
HDDが足りないので急遽古い余ってるのを引っ張り出したりとかいろいろあったものの
とりあえず無理矢理フルバックアップ完了。
ああ、HDD買わなきゃなあ。


[古地図]大掃除しながら武蔵野国道案内とにらめっこする

FaceBookで埼玉県立図書館のデジタルライブラリに
デジタル化された「武蔵野国道案内」がアップされてると教えて貰い、
さっそくダウンロード。

これがなかなか面白い。

江戸中期ということ以外わかってないようだが、
確かに中期以降の地図である。
葛西がすでに下総国ではなく武蔵国になってるから。


朱色の線が道。丸いのが集落。黒い線は郡境。
上記地図だと、豊島郡と足立郡と葛飾郡である。

古道的に気になった点がいくつか。


まずは川越街道。
江戸時代の川越街道として知られているのは、
中山道から板橋宿の平尾宿と仲宿の間から枝分かれして
北東へ向かい、上板橋宿を経て川越へ向かうもの。
それが、この地図では、起点から中山道と異なるのだ。
神田川沿いに小日向、関口ときて、北上し、池袋、長崎を経て練馬へ向かっている。練馬から先は今知られている川越街道のようだ。
道案内といいながら、実はアバウトな内容なのか(江戸時代なのでありうる)、
これが描かれた時代(江戸中期なので1700年代だろうが、元になった地図はもうちょっと古いかもしれない)の川越街道は、中山道から枝分かれする前であり、
だとしたら中世(太田道灌の時代)の川越道の道筋なのか?
と思うとちょっと胸アツ。
太田道灌の頃の川越街道はどこをどう通っていたかすげー気になってたのよ。

もうひとつ、岩槻街道が中山道から枝分かれしてる場所もおかしい。
駒込、西ヶ原を通って往時へ向かってたはずなのだ。
もしかして古くはこっちだったのか? あるいは地図がアバウトなだけなのか?
気になってしょうがない。



つづいて世田谷辺り。

今の246は江戸時代の大山道(矢倉沢往還)がベースになっている。
中世から江戸時代の初期は渋谷を抜けたあと、三軒茶屋から世田谷通りにはいり、世田谷の上町(ボロ市通り)を抜けて、南西に進路をかえて用賀へ向かっていた。
やがて、最短距離となる今のルート(三軒茶屋から用賀へまっすぐ向かう道)が開発された。
この武蔵野国道案内では古いルートのみが載っている。
まだ新道が開発されてないか、使われはじめたばかりの頃だろう。

気になるのが甲州街道から別れてシモキタを抜けて世田谷へ向かう道。
これ、なんだ?



それぞれ?aから?cまで記号をつけた。
「?a」は代々木あたりで別れて下北沢経由で若林へ至る。
もしこの図の通り、代々木から分かれる道とすると
代々木八幡脇から代々木上原方面へ抜けて三田用水に向かい、
そこからさらに森厳寺方面へ南下する道だ。この古道は現存する。
若林を抜けて世田谷へ向かう道も現存する。
ただ、下北沢や代田との位置関係がちょっと違う。

下北沢と代田の間で「?a」の道が「?b」と「?c」に分かれているが
こちらが正しいとすると、「?b」には世田谷から妙法寺へ向かう妙法寺道が該当する。
この道は今の環七に近い道だと思えばいい。
ただこの道だと甲州街道から南下する枝分かれが正しい。
あるいは玉川上水沿いの道をイメージしてるのか。

残るは「?c」の道筋である。
この場合、「上北沢」を通過しているように見える点をどう解釈するか。
この辺、縮尺がかなり詰まっていて細かな位置関係がおかしい点が多々みられるので、
実際には「上北沢」を通ってない、
と仮定する。
そうすると「?c」に該当する道が現存する。
いわゆる「羽根木道」だ。
環七から別れ、東松原駅前を抜け、豪徳寺駅前へ至る道である。
この道を南へ行くと豪徳寺と世田谷八幡宮の間の宮の坂へつながる。
これならおかしくない。

でも一番気になるのは、多くの道が省略される中、特に名のある街道でもないはずの「?a」から「?c」の道がここに描かれていることなのだ。
この地図が描かれた時点では重要な道だったのだろうか。

いずれにせよ、明治初期の地図と見比べながらこういうのを考えるのが楽しいのだ。



2014/12/28

大掃除しつつ1年を振り返るそんな年末っぽい日記

天気が悪いのをいいことに大掃除の日。
いろいろと懐かしいものが発掘されたので
FBに公開して遊ぶ。

この1年ですっかり変わったことその1がSNS。
メインのSNSがTwitterからFaceBookに移行したのが2014年。
今でもTwitterは使ってるけど、
サッカー実況系とか地震速報系とかを覗くと、
メインのやりとりはFaceBookになってしまったわけで、
こちらの方が特定の人とやりとりしたりスレッドで会話できるのがよい。
メッセージもすっかりFaceBookのメッセンジャーがメインに。

FaceBookのアカウントはTwitterと同様にogikubokeiであります。
FaceBookはリアルに会ったことある人か、
日常的にネット上でやりとりしてて誰だか想起できる人以外の
友だち申請はうけつけてないのでさほど友だちの数は多くありませんが、
ほとんどの投稿は「公開」ステータスなのでよろしければ覗いてみてください。
荻窪 圭

FaceBookにはいろんなクラスタの友だちがいるわけで、
カメラクラスタ、Macクラスタ、パソ通時代の旧知クラスタなどなどでありますが、
今年増えてきたのが街歩きクラスタ。

2013年、はじめて「東京スリバチ学会」のフィールドワークに参加し、
その過程で新潮社の方に「東京古道散歩講座しませんか?」と声をかけていただき、
月に一度の「東京古道散歩」講座をはじめたのが2014年。

いやあ
フリーのライターになって以来いろんなジャンルの原稿を書いてきたし、
時には講師みたいなことしたりもしたけど、
デジタルとはまったく関係ないジャンルで講師とは
世の中何がどうなるかわからんもんである。

これが面白い。
おかげで街歩き系のいろんな好事家のともだちがぐっと増えた。
暗渠系、城址系、団地系、地形系、地盤系、地図系、マンホール系……etcetc
それぞれマニアックなので会話が弾むのである。
しかも妙なところで。
都会のど真ん中で怪しい大人たちがマンホールを囲んであれこれ談議してる姿ってヘンすぎて面白い。
この仲間たちとよく各地を歩いて回った1年だったといってよい。

東京古道散歩講座の講師自体は準備が大変。
ルートを考えて、下見をする。
下見しなきゃいけない理由はひとつ。
わたし自身、そこを歩いたことがないからだ(笑)。
だって「東京古道散歩」を書いたときも、その後の本を書いたときも
わたし自身は自転車で探索してたんだもの。
そのせいで徒歩だと2時間半でどのくらい歩けるか、見当がつかないのだ。
もうひとつ、古道って、歩くだけだと単なる田舎道にすぎないので
ある程度資料を用意して説明しながらじゃないと面白くない。
想像力が必要なのだ。
江戸時代の五街道のようなメジャーな街道は無視してるので、
よけいそうなのですな。

秋の祖師ヶ谷大蔵から喜多見経由で和泉多摩川まで歩いた道は面白いといってもらえたのでうれしい。

ただ、マネタイズは全然できてません。わははは。何とかしなきゃ。

どこまでネタが続くのかわからないけど、
2015年もやりますのでよろしくお願いします。
講座詳細 | ヨム・カク・ミル・シル 新潮講座 SHINCHO CHAIR | 新潮社
ちなみに「古道研究家」という肩書きになってるけど、
そこは笑い飛ばしてよいところです。

そうそう、来年のために「歴史手帳」買っちゃいました。
タモリ倶楽部見てたら、歴史手帳が紹介されててそれが面白そうだったので。
これ、手帳なのは前半半分だけで、後半は資料集なのだ。
元号と西暦の対象表とか、変体仮名の表とか、神社仏閣の建物の読み方とか、
歴史散歩に便利な情報が詰まってるのでそれが欲しかったのである。
これ、iOSのアプリにならないかなあ。
いっそのこと、バラしてスキャンしてevernoteにつっこんじゃおうかなあ。
そんなこと考えております。

さらに、iPhone 6 PlusかiPad miniと、iOSアプリの東京時層地図とFieldAccessがあれば最高に便利。歴史散歩で必須のアプリ紹介コーナーとかどっか書かせてくれないかな。

2014年を通して遊んだものをもうひとつあげるとすれば、
THETAですな。THETAに一脚をつけて杖のようについて街歩きをし、
面白そうなところへいってはTHETAしてました。
これやっぱ面白いわ。

先鋭的でユニークな作品を作るための、新しいカメラというのはけっこうあるけど、
(特にドローン系がそうですな)
THETAは日常の中で使える。そこが素晴らしい。
GoProのようなアクションカムもアクティブな人の日常に溶け込んでる。
大事なのはそこです。

ともあれ、収入は減ったけど、面白い1年でありましたことよ。