近所の街歩き仲間友人らと永山駅で待ち合わせ。
そこから、あれこれ多摩センターに残る歴史の残骸を散策しつつ
恋路稲荷神社と稲荷塚古墳へ。
パルテノン多摩で開催されている「恋路稲荷神社の秘密」展へ行く前に
実際の稲荷塚と神社を訪れておこうという趣向なのである。
地図を見ながら、名車墓場的なところを抜け、
恋路稲荷神社へ。奥に見えるのが稲荷塚古墳。
このあたり、古墳群があったのだ。
近くに臼井塚古墳があるようだから探してみようと和田さんがいうので
探してみると、臼井家の敷地らしい。
たまたま臼井家の方が外に出てらしたので声をかけてみると、
なんと古墳に案内してくれるという……削平されて古墳自体は残ってないけど、このへんでしたよと。臼井さん、おじさん3人組の突然の訪問にもかかわらずあれこれ説明してくれてありがとう。ここでお礼を。
話を伺うと、江戸時代に百草村から7軒の人たちが移住して開拓した、もともとは百草村の飛地で、その7軒のひとつが臼井家だそうな。旧家ですな。
さらに稲荷塚の話も教えてもらう。
集落で管理していた稲荷塚と恋路稲荷神社だが、多摩市へ管理を移管するにあたり、墳頂に宗教施設があっては引き受けられないってことで、稲荷塚から稲荷を下に降ろし、新しい社殿を設けたという。
なるほど。
良い話を聞けた。
ちなみに「恋路」というのはこのあたりのもともとの地名で、「恋路原」(こうじっぱら)といったらしい。
まあおそらく「恋路」ってのは当て字。元はどんな意味だったか。
臼井家を辞去してバス通りまで歩き、バスで多摩センターへ。
そこからパルテノン多摩。
「ここまでわかった古街道展」と
「恋路稲荷神社の秘密」展である。
古街道展は宮田先生の「歴史古街道団」のイベント。
各種研究成果の展示や講演で構成されている。
今回は「かわいい土木」で知られる三上さんも登壇されたと云うことで久しぶりに会う。
で、宮田先生と世間話しながら、恋路はもともとなんだったんでしょう?
と話を振ると、「あれは国府路ではないか」という。国府津は「こうづ」、国府路は「こうじ」と転訛するのはぽぴゅらーで、なるほど、国府路→こうじ→恋路となったと思えばしっくりくる。
で、もちろん国府路ってことは古道だったわけで、北上すると小野神社、一宮の渡し経由で府中へつながってた奥州古道だったんだそうな。
まさか、恋路が奥州古道までつながるとは思わなかった。
やはり第一人者の話は面白い。
でもね、それはそれとしておいといて、せっかくの「恋路稲荷」なんだから、縁結びの神様ってことにして、恋路まんじゅうとか恋路もなかとか恋路アクスタとか作って、古墳の上で告白するとうまくいくとか適当な都市伝説作ってやれば……←やめとけ
ともあれ、さんざん堪能したのち、イルミネーションを撮って帰る。
京王プラザホテルが解体されて更地になったおかげで、背景がヌケていい感じのイルミネーション作例が撮れたのだった。
ここんとこバタバタしてて、このように仕事とは関係ない趣味のフィールドワークはしてなかったから楽しかったわー。
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