2017/06/20

威光稲荷の塚が気になってしょうがない雑司ヶ谷

さらに作例撮り。
いつもの人物作例のモデルをいつもの女子大生さんにお願いして撮るのである。

早めに家を出て、雑司ヶ谷から池袋へ写真を撮りながら歩く。
都電荒川線工事中

創業1781年の上川口屋。江戸時代から鬼子母神境内での商売を許されてきた超老舗

鬼子母神を管理してるのはすぐ北にある威光山法明寺。
810年、真言宗の威光寺として創建されたそうである(1312年、日蓮宗に改宗)。
その法明寺の裏手に「威光稲荷」がある。
狭い路地からくねくねと赤い鳥居が並ぶ参道がある。
参道が不自然なのは
もともと法明寺の一部だったが、明治期の神仏分離で分離させられ
別途参道を作ったからだろう。

奥に威光稲荷堂がある。
ここの由緒も古い。
威光稲荷堂の由緒碑によると800年代に慈覚大師が当地で光明を見いだし、
近づいてみたら稲荷大神だったという話。
威光寺の縁起とつながってるのかと思ったが、
慈覚大師は天台座主。
つまり天台宗であり、810年創建という威光寺は真言宗だったというから
天台宗と真言宗が仲良く同じ時期にここにやってきたのか?

いやそもそも、真言宗だったっていうけれども、
空海が金剛峯寺を開いたのが816年なのだから
810年に真言宗の寺として開かれたというのは明らかに時空が歪んでる。

まあ、ムリヤリ話を合わせるなら、
9世紀頃「威光」が見つかって稲荷神が祀られ
その管理をする寺として天台宗の威光寺が開創され
のちに真言宗に改宗、鎌倉時代に日蓮宗に改宗
となるか。

もはや何が史実だったかはわからんけれどもな。

で、威光稲荷。
威光稲荷堂へ行くと、その右脇に下る階段がある。ちょっとした谷地に降りるのだ。
谷地に降りると、塚に向かって参道が作られている。

一度谷地に降りてまた上るのである。
おそらくはこの塚に向かう階段がもともとの参道で、
法明寺境内の裏から伸びていたのだろう。

そして地形的に、この階段は谷頭に向かっており、谷頭の上に塚がある形だ。

そして現れる塚。
この塚が気になるのである。

法明寺に電話でもして聞けばいいのだが、めんどくさいので類推すると
1)狐穴の跡を保護してる塚。狐が住んでいたという穴を持つ稲荷はいくつもある(上野の花園稲荷や、王子の王子稲荷)。その流れかもしれない。
2)地形的にかつてここに水が湧いていてその神様として塚を作ったのかもしれない
3)実は古墳。円墳が神域とされたのかもしれない。
にしても、周囲を稲荷のちいさな祠で囲まれた塚。
気になります。
いつか気が向いたらちゃんと調べてみよう。

さて池袋で待ち合わせて、
芝生のある公園で人物作例やカメラのイメージカットを撮る。


ちょっと時間があるのでお茶でもしようということで
いくつか候補をあげると「ミルキーウェイ」に行ってみたいという。
ひゃああ。
まだあったのかミルキーウェイ。
池袋のミルキーウェイ。
80年代に何回か行ったことあるわ、ここ。
めちゃファンシーで派手な、もうバブル期っぽい店。

80年代を思わせるテイストは健在。
いやあまさか30年たってまた来るとは思わなかったわ。

FBでネタにしたところ、
70年代後半にはあったという話が出てきた。
アラフィフホイホイ状態で、学生時代に行ったという話がどんどん出てきて面白い。
サンシャイン60ができた頃じゃないかとか
最初は池袋駅のパルコにあったとか、
我々が「昭和な喫茶店」というと
木造やレンガっぽいテイストの「喫茶店」を思い浮かべるが、
「昭和なカフェ」というとミルキーウェイなのであろう。

面白い。










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