「東京古道散歩」の日。
病院との連絡は妻に任せて、わたしは飯田橋駅へ。
妻から、ミルが「危機は脱した」ようだとのメッセージを受け、一安心し、
東京古道散歩。
○東京古道散歩で神楽坂から早稲田へ
神楽坂で、中世の行元寺や牛込城、牛込氏の話をしつつ、
鎌倉街道の可能性がある道を歩く。
途中、安養寺で金ピカの薬師如来(神楽坂大仏)を拝ませてもらう。
これは予定してなかった僥倖。
めっちゃ金ピカなのは、戦災後の修復で金箔を貼ったからだという。
でももともとは家光の頃のものというから、当初から金ピカだったのだと思う。
瓢箪坂を上って赤城神社参拝、そこから早稲田方面へ歩き、天神町の天神、元赤城神社、弁天町の弁天、牛込氏墓所などをめぐって早稲田へ。
雨の中参加してくださったみなさまありがとうございました。
そして経堂へ。
病院へ18時に面会に行くという予定だったので妻と病院で待ち合わせる。
中へ入ると、朝の時点で肺の水はほとんど抜けていたのだが、
その後また溜まってきて症状が悪化してきたのだという。
なんと。症状が安定したら循環器専門医にどうやって連れて行こうという話になっていたのに。
とりあえず、退院は無理そうなので、さらに治療をお願いし、
多摩川花火大会の音を聞きながら帰宅。
ベランダからちょっと花火をミルが、雲が出てるのであまりきれいには写らない。これはiPhone 17 Proで撮ったもの。
○ミルの最後の夜
花火も終わったし、夕飯でも食べようかという所で
病院から電話。20時過ぎ頃。
タイミング的によい話のわけがない。
すぐに来られるかというので、
慌てて着替えて自転車で走り、電話から30分後には病院着。
朝と夕刻のレントゲンを見せられ、
朝、いったん肺の水が抜けたけどまた溜まっていること、
肺の水を抜こうと処置をしたけど、腎臓がほぼ仕事をしていなくて水分を尿として外に出せなくなっているという。
これはいよいよあぶないということで、連れて帰るなら酸素ボンベと酸素ハウスが必要といわれたが、当然、それはまだ先のことと考えていて準備はできておらず。
かといって、24時間体制の病院ではないので深夜には無人になる。
今日はたまたま担当の先生がまだ仕事が残っているからといって遅くまでいてくれているのだ。
どうしようかといっていると、21時10分頃、口で呼吸をしはじめる。
これはよくない。
興奮させてはいけないので撫でたりは遠慮していたのだが
このまま撫でもせず亡くなるのもいやなので
酸素室の窓をあけ、撫でたり声をかけたりするが反応は鈍い。
これはいよいよあぶないというところで
酸素室から出し、妻の膝の上で抱き上げ、やがて呼吸が止まり、
先生が瞳孔反射を見て、心音を聞いて、臨終が確認される。
とっさにロック画面スクショ。実際にはこの1分前だった。
なんと4歳と数ヶ月である。
こちとらあと15年は一緒に、というつもりで部屋は随所がミル仕様になってる(正確にいえば、ミルが悪さしないようあれこれ対処してある)。
しかも昨日の昼間ではそれなりに元気でいたのだから、晴天の霹靂。
大五郎は老齢だったし、かふかもそれなりの年齢での病気で徐々に弱っていく様子をみながら部屋で看取れたのだが
ミルは病院での看取りとなってしまった。
Facebookに書いたらふたりほど、ほぼ同じ理由で5歳で亡くなったという経験を持っていた。うち1匹はわたしも会ったことがある猫だ。
先天性の心臓疾患を持っている場合、そのくらいで発症することが多いというが、正にその通りだったのだろう。
なんとも早すぎて、最後のひと遊びもできなかったのが哀しい。
病院へ連れて行かなければ(つまり余計な刺激を与えたり興奮させたりしなければ)
あと数日から一週間くらいは生きていたろうが、その場合、家で急に容態が悪化して何が起きたのかわからないまま看取っていた可能性も高く、それにくらべればきちんと対応してもらってよかったのかもしれない。
逆に、もっと早く連れて行っていれば、心臓病の薬を飲みつつ長生きできたかもしれない。
猫が亡くなるときは何かしら悔いが残るものである。
とばかりもいってられないので、
病院に箱とタオルを借り、死後の処置(水を抜くなど)をしてもらい、自転車は翌朝とりにくるということで、タクシーで帰宅。
帰宅後、冷凍庫にある保冷剤をしきつめ、
世田谷区上馬の感応寺境内に設置された「せたがやペット斎場」に電話して、翌17時の予約をとる。24時間受付のありがたさである。
1 件のコメント:
合掌
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