2019年2月2日土曜日

東京古道散歩の日

東京古道散歩本番。

上北沢駅スタートなので
そこまで自転車で行く。
上北沢は世田谷区で、そこに世田谷区の駐輪場はないし、京王線の有料の駐輪場も上北沢駅には用意されてない。そこでググると、上北沢には駐輪場がないよっていわれてるけど、実は、ちょっと歩くけど(徒歩4分くらい?)、首都高の下に「杉並区の無料駐輪場」があるのだ。鎌倉街道入口交差点のとこ。
遠いけど、無料なのがいい。


13時半に上北沢駅改札口集合。
上北沢駅北口から北上し、甲州街道へ出て、右折して東へ。
甲州街道高井戸一里塚跡の解説板。
このあたり高井戸宿があったところ。

その少し東に鎌倉街道入口の交差点あり。

ここが今回の本当のスタート地点だ。
ここから北へ向かう道が「鎌倉街道」とされている。
鎌倉街道というくらいなので「南」へも通じてなければならないわけだが、
そこはいい道が残ってない。いくつかルートの候補はあるけど、
最短距離で行くなら、「船橋」経由(船橋の語源は鎌倉街道の船橋が烏山川にかかっていたからといわれてる)、芳賀善次郎氏の説だと、いったん西に向かって祖師谷道。
まあどっちかがありそうだな。

北へ向かうと、やがて「鎌倉橋」という橋に出る。派手な鎌倉街道の石碑あり。


この話の元ネタは、文政年間に書かれた「武蔵名勝図会」。
鎌倉橋にある解説板にそう書いてあった。
原本にあたってみたいと思っていたら、
国立国会図書館デジタルコレクションにあるのを何年か前にみつけた。
大正時代の写本だが、全然読めない。
なんとか、友人知人の協力を得て解読したのがこちら。
「鎌倉橋:上下高井戸宿の境にあり。古への鎌倉道にて、南より来たり、橘樹郡へ出て宿河原辺にて玉川を渡り、世田ケ谷領へ掛り、此所へ来り。是より北へは大宮八幡の大門通りを過て、中野村追分へ出る。それより中山道板橋へ行くなり。今は農夫樵夫の往来道となり野径の如し」
いくつか地名が出てくる。
A:上下高井戸宿の境……この鎌倉道の東が下高井戸宿、西が上高井戸宿だった、ということだろう。

B:宿河原あたりにて……今の宿河原。ここで多摩川を渡ったそうで、江戸時代でいう登戸の渡しか。中世と江戸時代以降では多摩川の流路が違うのでなんともいえないがまああの辺だ。あの辺を渡って高井戸へ向かうには世田谷領を斜めにつっきるのが最短距離であり、そう考えると、喜多見を抜け、大蔵あたりから祖師谷か船橋を通過して高井戸へ至るというのが一番シンプルだ。

C:大宮八幡の大門通り……鎌倉橋を渡ると大宮八幡の大門通りへ向かうとある。今の「鎌倉通り」は鎌倉橋を渡ってまっすぐ北上するが、それだと大宮八幡へは人見街道経由になって遠回り。明治期の地図を見ると、崖下の微高地をほぼ最短距離で大宮八幡へ向かう道が描かれている。それだ。

というわけで、それで大宮八幡宮へ。南門からはいる。


大宮八幡宮に参拝して遺跡を観たりしたら東へ抜ける大門通りへ。

D:中野村追分……中野追分である。今でもそれっぽい場所は残っている。青梅街道の「鍋屋横丁」の交差点あたりといってもいい。
まず大宮八幡宮参道(江戸時代は大門通りと呼ばれていた)の終点あたりから北へ向かって善福寺川を渡り、堀ノ内熊野神社脇の坂を上る。


あとは「中野村追分」まで、十貫坂をのぼり、ほぼ最短距離でつながってる古い道がある。その青梅街道との交差点が「鍋屋横丁」。中野追分はその少し西だが、ほぼ同じと思っていい。

という感じで、歩いたログがこちら(地図は明治時代後半のもの)。
なかなかいい感じでつながってる。
まあ、芳賀善次郎氏が「鎌倉街道探索の旅」で示した鎌倉街道のルートを、武蔵名勝図会の記述を元に再確認したって感じではあるんだけど。


ちなみに、このルートは信号も少ないし交通量も多くないので自転車で走るのがお勧め。
上北沢や八幡山や桜上水の人が中野へ行きたいときとか。

まあ、なかなか地形的にもルート的にも好きなコースである。

で、サイゼリヤでちょっと打ち上げして(新中野駅前にちょうどあったので)帰宅。









1 件のコメント:

Toomy さんのコメント...

今晩は、参加者です。武蔵名勝図絵の読み下しにそんなにご苦労されたとは!杉並区のホームページで鎌倉橋の記述のところで・・・と書いてあるのは、省略ではなく、判読不明の意味だったのですね。
途中、正用街道とか電信柱に正用支という文字がありましたが、調べたら、杉並区高井戸地区の京王井の頭線高井戸駅周辺は、旧高井戸村の中心部で字正用と言われた 地区に当るのだそうなので、関係があるかもしれません。すでにご存知かもしれませんが、以上、ご参考までに。