2019/02/01

東京古道散歩下見で杉並区の鎌倉街道へ

実は明日の「東京古道散歩」。ちゃんと下見できてなかったので
(何度も訪れてる場所なので配布資料を作るくらいはできるのだ)
昔と状況が変わってる箇所があるといかんってこともあり、
自転車でさっと下見に走る。

上北沢へ走り、
鎌倉街道入口から大宮八幡宮、
大宮八幡宮前の参道を東へ。これが古の街道。

そこに「くろもん」というお店がある。
気になったので尋ねてみると、
今が8代目。昔からここで商売してる。以前、二番目の鳥居(江戸時代、参道にあった二ノ鳥居のことか)が黒かったと聞いている、
的な話を聞ける。

尋ねてはみるもんである。

さらに東へ向かい、参道が終わるあたり。
以前訪問したときから大きく変わっている場所を発見。

・旧大宮寺の宝篋印塔

参道の北側に置かれていた「宝篋印塔・庚申塔・地蔵」の3つは
かつて民家の門の中にあって自由に見学することができなかったのだが、
いつの間にかそれがマンションに建て替えられ、
この3つの石塔が開放されてたのだ。
ありがたや。



特に「宝篋印塔」はかつて大宮寺(大宮八幡宮の別当寺。明治期に廃寺となった)に置かれており、その形式から鎌倉時代末期から南北朝期のものだという。
古い!
その頃の和田村がどうだったのか見てみたいわ。

これは貴重である。なぜここにあるのか、ここに別当寺があったのか。
ふと、村尾嘉陵の「江戸近郊道しるべ」に大宮八幡宮詣での話があったのを思い出し、
国立国会図書館デジタルコレクションにあたってみる。
備後、いやビンゴ。
上記地図(文政八年)、大宮八幡宮参道を東へ向かうと、鞍掛松の対面に別当が描かれてる。
それどころか、ちょうど今宝篋印塔がある場所に「古墓」として描かれてるではないか。
それがこの宝篋印塔なのである(たぶん)。

江戸時代後期の時点ですでにいろいろ欠けていたのですなあ。

で、この宝篋印塔があった江戸時代の「古墓」。
「江戸近郊道しるべ」によると傍らに石地蔵が2体あったそうで、
もしかしたら、今並んでる庚申塔と地蔵が該当しそう。
「旧大宮寺宝篋印塔」と呼ばれているが、大宮寺とは直接は関係ないのかも。

https://www.city.suginami.tokyo.jp/_res/projects/default_project/_page_/001/031/591/06.pdf

そこはのちに小松屋酒店となり、今は7-11となって宝篋印塔のみ残ったわけである。

さらに善福寺川を渡って堀ノ内熊野神社。
東へ向かい、環七を渡って立正佼成会、救世軍、
大山不動尊と榛名・御嶽・稲荷神社。
この辺り、釜寺の近くにも「榛名・御嶽・大山」の3つを祀る神社があり、
おそらくこの三山の講が一帯にあったのだろう。

さらに十貫坂地蔵堂、十貫坂、堀ノ内妙法寺への道標、とたどって
中野追分でゴール。

そのまま自転車で釜寺方面へ南下し、
経堂まで走って、ふたたび「保護猫シェルターQUEUE」へ。
ここの最上階がQUEUE(クー)。

猫連載用の写真を撮らせてもらうのと、
もうひとつ、お願いしたいことがあったため。
無事交渉完了。


夜、ascii.jpに猫連載を書いてメール。



0 件のコメント: