2014年12月8日月曜日

[古道]尾張旭の直会神社と天武天皇新嘗祭の斎忌

実家にいると朝早く起きるので、
せっかくだからとカメラを持って散歩に出るのである。
こんな感じの3km散歩

まず矢田川を渡って、直会神社へ。
DMC-CM1

天武天皇5年の9月21日。
神官が「新嘗祭のための国郡を占いましたら、斎忌(ゆき)は尾張国山田郡、次(すき)は丹波国加佐郡になりました」と奏上した」

と日本書紀(宇治谷猛訳)に書いてある。
ゆきもすきも、新嘗祭に奉納する米を作る田。ゆきは東国(大和を基準にしたら尾張も東国である)、すきは西国。

それがこのあたりだという。
矢田川の北に広がる平地で、守山区の大森から尾張旭の印場あたり。
印場の語源も、斎忌→いみば→いんばとなったのだという説あり。

で、直会というのは、
斎田の収穫を祝って神様に備える儀式であり、
その跡地に建てられたのが直会神社なのだ。
ちなみにこの説明板には「天武天皇の大嘗祭」と書いてあるけど、それは間違い。日本書紀には、大嘗祭は天武天皇2年で斉田に尾張国は指定されてない。尾張国山田郡が出てくるのは新嘗祭。修正しないのかな。

いやあ、実家に住んでるときは単に「盛大なお祭りをする古くて朽ちかけた神社」という意識しかなかったんだけど、
しかも地元の人は「にょうらいさん」としかいわないので、
いった何のことかわからないでいたのだが
こんな歴史が埋もれてるとはびっくりですわ。

実際、このあたりでは律令時代の条里制の遺構も発見されてるし、
渋川神社にも新嘗祭にまつわる伝承がある。

まあ、帰省時には初詣にいってる渋川神社もわたしが高校生の時は鬱蒼とした森に古い拝殿という風情があったのだが、平成になって一度全焼しちゃったので、今は真新しいすっきりした神社だし、
直会神社もこのあたりの区画整理をきっかけに(古道がずいぶん消えたし、わたしが通学に使ってた細い道も消えた)こぎれいになっちゃって、なんともアレなわけで、
残念なのである。

直会神社から少し西へいくと、
庄中観音堂がある。
小学生の時の記憶では、南北に走る印場道から観音堂、直会神社と鬱蒼とした森の中を参道が東に伸びてて、その両側に出店がずらっと並んでたという絵しか浮かばないのだが、
今は住宅街の中にぽつりである。
DMC-CM1

この観音堂、
円空仏五体と本尊である観音像がおさめられてる。
観音像は近くにあった池に流れ着いたものと伝わってる。
毎月18日に開帳してくれるそうな。

で、そうなると気になるのが古道で、
直会神社にあった地図とか大森中学校(三ヶ月だけ通った。すぐ隣の市に引っ越して転校しちゃってのだけど)のサイトにあった大森地区の歴史とかそのあたりを参考にするとこんな感じか。
今昔マップ on the webより(http://ktgis.net/kjmapw/index.html)

普段東京に住んでると、江戸時代より前の伝承ってちょぼちょぼとしか出てこなくて探りがいがあるのだが、
地元に帰るとなんてことない田舎なのに古い歴史がポコポコとあって、尾張国あなどりがたしである。
何しろ日本書紀だもんな。

まあ、尾張国山田郡に関しては範囲もはっきりとはわかっておらず、
郡衙がどこにあったかも、ググったんだけどさっぱりわからず。

いつか自転車でこの辺の律令時代の残滓を辿ってみたいなと思いつつ、
あまり家をあけるわけにもいかないので、
矢田川の川原を鳥を観ながら歩いて帰宅。
矢田川のアオサギ。E-M1


午後、東京に戻る。
宅急便がたくさん届いてたので開けたり開けなかったり
いろいろしてたら深夜になる。




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