2016年2月24日水曜日

道灌と紅皿

あれこれ事務処理をして
新宿へ。

新宿中央公園に太田道灌と少女の像があるわけだが、

ふと気になったので、彼女が掲げてる扇をチェックしてみたら、
ちゃんと、山吹の花が置かれていた。

有名な逸話の一シーンを像にしたもの。
かつて都庁がおかれた有楽町の東京国際フォーラム、
日暮里駅前と並ぶ、都内三大道灌像のひとつである。

でなぜこんな光景か。
鷹狩りの途中雨に降られた太田道灌が、近くの家で蓑を借りようとしたところ、
そこの娘が山吹の花を差し出し、太田道灌にはその意味がわからず、
のちにその意味を教えられて歌に興味をもちはじめたという有名な故事からの引用だ。
のちに落語「道灌」のネタとなって人口に膾炙したっぽい。

初出がどこかはわからないけれども、候補のひとつが常山紀談。
湯浅常山という江戸時代中期の人がまとめた武士の逸話集。
現代語訳が「戦国武将逸話集」として出てるので戦国武将好きにはたまらんかと思う。
三巻に別れているうちの一巻目に太田道灌が出てくる。

江戸時代の本なので、ひとつひとつの逸話に「ソース」は示されてないし
もちろん巻末の「参考文献」もないわけで、
どこから出た話なのかはわからない。

この故事の場所は戸塚とされていて(江戸名所図会にもそう書いてある)、
面影橋の北に山吹の里の碑がある。
他にはいくつも候補があるのだが、
常山紀談によると「鷹狩りの途中」に雨に降られたわけで、
ここは道灌が居城する江戸城からほどよい距離であり、
戸塚から面影橋あたりは鎌倉街道が南北に通っており当時からよく使われていた道筋であることから
いい線をいってるかと思う。

少し南へ行くと紅皿伝説もある。
太田道灌に山吹の花を差し出した女は紅皿といい
のちに道灌の和歌仲間になったという話しだが、
日本に古くからある類型的な昔話「紅皿欠皿」の一種と考えて良さそうで
このあたりに伝わる昔話の「紅皿欠皿」話が、
道灌の山吹の里伝承といつしか結びついてひとつになったんじゃないかなと思う。

まあ、
どこまでは史実かを考えるよりは、
史実であると仮定して
「蓑も貸せないような貧乏人の娘が、後拾遺和歌集の歌をさっと応用できるということは、さては室町期の戦乱で没落した身分が高くて教養のある娘だったか」などと
想像する方が楽しいですな。

歌人としても有名で、江戸城に都から人を招いて歌会を開いていたような道灌が
歌に興味を持ち始めたきっかけ話として喜ばれたのでしょう。

なお、常山紀談では、このあと、和歌を勉強した道灌は、
それ戦場で生かしたのであった、というオチになっております。

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