2017/08/14

帰省したらご近所散歩

朝、カメラ3台もって散歩に。

てくてくと猫を探して歩きつつ、
つい大昔に卒業した小学校やらしてない小学校やら小学生の頃やらかしてコケて骨折した団地やらをめぐる。
帰省ついでの記憶を辿るご近所散歩はいろいろと発見があって面白い。

1970年代前半かな。
高度成長期ど真ん中で団地がどんどんできてて
ここなんかまだ建てられたばかりで、
自転車で走り回って遊んでてこの斜路から自転車ごと落ちて骨折したのでした。
よく見るとわかるけど、この斜路、途中で幅が広くなって手すりがついてる。
当時はもっと狭かった(途中でコンクリートの色が変わってるからわかる)。

で、何をやらかしたかというと、まあ小学生なのでアレですよ、あまりにアレすぎてノーコメント。


最初に通った小学校は、3年生の頃(たぶん)、
開校百周年を迎えたのである。
今思えばめちゃ古い学校だったのですな。
明治6年、近所のお寺を借りてスタートしたのがはじまりらしい。
開校百周年記念の記念碑は覚えてる。
となりの二宮金次郎は……当時はここじゃなかったんじゃないかなあ。

ちょうどその頃学区内のいたるところに団地ができ、
クラスが毎年増え、とうとう校舎が足りなくなって
仮設のプレハブ校舎が建てられ、
そこは夏めちゃ暑かった。

やがて、あまりに児童が増えたので、分校が作られ、
そこが独立し
翌年また分校が作られ、また独立。
高度成長期おそろしや。
この頃はまだまわりは田んぼばかりだったので
まとまった学校用地も確保しやすかったんだろうな。

そしてその独立した小学校(おかげで学校が近くなって助かった。それまでは約3kmの道のりを歩いてたから。それが半分くらいになった。

当時歩いた通学路を思い出しつつたどってみようかと思ったのだが、
無理。
細かい道筋を全然覚えてない。
その上、当時そこら中にあった開渠は全部暗渠になり、
農地や竹やぶは住宅地になり、
いやそれ以前に、道路が違う。
区画整理により矩形の土地が増えて
古い道筋がいくつか消えてしまってたのだ。
旧道好きとしてはそれがつらい。
記憶通りの位置にあったのは、橋と公園と学校くらいだもの。
このあたりの区画整理がはじまったのが昭和40年代はじめなので、
ちょうど小学校に通い始めた頃。通ってる間にいろいろ変化したんだろな。

帰り、団地で猫と会う。


疲れた。


妹が車で遊びにくる。
だらだらと西瓜食いながら世間話。

午後、そろそろ東京に戻るかってんで名古屋駅へ。
混んでるだろうから、新大阪発のひかりを狙うか、と思いきや、
最初にホームにはいってきたのぞみに空席を発見して
さくっと座って平和に自由席で東京へ。

お盆期間なるもピークさえ避ければ、ふたりならなんとかなるのであった。














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