2018年2月4日日曜日

志村と豊島氏と武蔵千葉氏の話

腰に疲れが溜まってヤバい感じなので休むことにして休む。
久しぶりに腰にきた。

1456年、千葉氏の跡目争いに負けた千葉さねたねとよりたねが上杉氏を頼って武蔵国へ逃れ、石浜城と赤塚城を与えられた。

そのときの各氏の居城の図。

赤が武蔵千葉氏。
青が上杉氏系(太田道灌と牛込流江戸氏)
緑が豊島氏系(それぞれ居館跡・城址とされる場所)。

このとき、志村は豊島一族の志村氏がいたはずだが
志村城の伝承では、1456年頃に赤塚城の支城として武蔵千葉氏の千葉隠岐守がはいったと伝わっている。
1448年の熊野年貢目録には、石神井殿、板橋近江、蓮沼十郎三郎、志村大炊助の名があり、志村氏がこのあたりを治めていたと思われ、
千葉氏がきて志村氏が追われたか、千葉氏が来て志村氏はその下についたか、
あるいは、この時点ではまだ志村氏が勢力を持っていて、
そののち豊島氏が太田道灌にやぶれて志村城も千葉氏のものになったのか
よくわからないが、
志村氏→武蔵千葉氏って考えるのが妥当だろうなあ。

でもこうして地図にすると、豊島氏一族が領するエリアを武蔵千葉氏が挟んだ格好になるんだなあってのがよくわかって面白い。


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