2019年11月9日土曜日

二松学舎大学で漱石アンドロイドの日

二松学舎大学の島田先生に招待されて
昨年に引き続き漱石アンドロイドのシンポジウムへ。




冒頭で夏目漱石(のアンドロイド)によるモノローグ劇。

そしてシンポジウム。

前回と大きく違うのは2点。
ひとつめはポスター。夏目漱石がサイバーな味付けに
ふたつめはパネリスト。前回より2世代若返った感がある。
世代が若返ると、育ってきた文化や文化のベースが違う。
だから、それがピンと来る人には実に面白い。
そうだな、功殻機動隊をリアルタイムで観たり読んだりした世代。
あるいはサイバーパンク前の世代と後の世代。
実際には世代では区切られないのだけど、
少なくともわたしの世代でサイバーパンクや清原なつのや功殻機動隊をリアルタイムで読んでた人は少数派だったけどいたわけだし。
そういう意味ではサイバー空間という概念を新しく知った人が少数派だった世代と
すでにその概念があった世代といっていいかもしれない。

もうひとつ観てて気づいたのは
漱石アンドロイドがもつ3つの顔。

ひとつめは「広告塔としての顔」。これはもうツッコンでも面白くないのでスルー。

ふたつめは「仮に将来様々なデータを元に実在の人物をサイバーテクノロジーで復活させられる時代が来たらどうなるのか」という思考実験のベースとしての顔。前回はこの視点だったので、誰が蘇らせる権利を持つのか、という話になってた。
確かに、我々から観たらかつて実在していたとしても、夏目漱石は知人でもなんでもなくメディアの中でしか知らない人なので、復活してもメディアの中の人としての扱いしかできないけど、身近な人がこのような形で復活したら、気持ち悪いかもしれないし、やめてくれと思うかもしれない。

みっつめは「漱石アンドロイドは現実と虚構の狭間にいる存在である」ということ。
今回のテーマは要するにそういう立場の存在であるという方向に収束していったのが新世代な点。
特に面白かったのが「顔」の話。漱石アンドロイドはそれなりにコストをかければ同じものをいくつも作れる。漱石アンドロイドは年を取らないのでその人の生前の一番象徴的な時の顔が永遠に固定される。
島田先生がいきなり清原なつのの「アンドロイドは電気毛布の夢を見るか」を引用してきたのにはびっくりしたが、確かにあれはそういう話なのだ。
今読んでも名作なのでぜひ。清原なつののSF短編は学生の頃めちゃ読んだわ。
大山さんは山田胡瓜の「AIの遺電子」を引用した。
テクノロジーをちゃんと感覚的に分かっている人が書いた作品なので超お勧め。

で、この辺を絡ませていろいろ考えたのだけど時間がないのでまたいつか。

清原なつののその短編は「千の王国百の城」に収録されてます。

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