2022年1月2日日曜日

0102:沼名前神社で初詣

朝の鞆の浦散策。

沼名前神社へ初詣に向かう途中、

ささやき橋を渡る。

ささやき橋に関しては日本伝承大鑑に詳しい。

応神天皇の時代、百済から王仁博士が来日した際、船が鞆の浦へ到着。

朝廷はこの賓客をもてなすため、接待官として武内臣和多利、官妓として江の浦を当地に派遣した。ところが、この二人は仕事で何度も会ううちにすっかり恋仲となってしまったのである。橋のたもとで逢瀬を重ねる二人の仲はやがて上官の知るところとなり、密会を止めるように忠告された。しかしそれを止めることが出来なかった二人は罪を問われ、お互いが抱き合えないように後ろ手に縄で縛られると、そのまま海に沈められてしまったのである。(日本伝承大鑑 より)

で、夜な夜なふたりがささやきあう声が聞こえるようになったのでささやき橋となったのだそうな。

百済の王仁博士が来日した件については、日本書紀の応神天皇の項に書かれている。

鞆の浦の「鞆」の由来は、神功皇后が男装した際身につけていた「鞆」であるといい、

神功皇后の妹君を祀った淀媛神社もある。応神天皇はその神功皇后の子であり、のちに八幡神と習合され、八幡神社の祭神となった。

いつ頃生まれた話かはわからないが、神功皇后から応神天皇の流れに位置づけられる伝承のひとつなのだろう。

さらに足を伸ばし、寺町を経て沼名前神社で初詣。


沼名前神社は延喜式神名帳にある古社だが、その名にしたのは明治期。

もともと海の近くにあった渡守神社(航海の神で、神功皇后の妹君である淀姫が祭主をつとめていたという)と、現社地にあった祇園社(鞆の祇園と呼ばれていた)がひとつになったもの。渡守神社が沼名前神社に比定されている。

社殿は海を向いており、鞆の浦らしい古社である。

鞆の浦の伝承はとてつもなく古くまで遡れるのでそれがまた面白い。

鞆の浦散歩の記事、どっかで書かせてくれないかな。

妻の実家で昼飯を食い、近所で猫を撮らせてもらい、


その足で福山駅へ。

指定席は取ってなかったが、

福山から新大阪駅はJR西日本の「さくら」で無事着席でき、

新大阪からは新大阪発の「のぞみ」を狙って無事着席と

座って東京へ戻れたのであった。

帰宅して猫の世話をしたりなんやかやしてたら疲れてバタンと眠る。




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