2022/07/29

0729:阿佐ヶ谷自転車散歩の日

さらに自転車の日。

下高井戸から永福町経由で大宮八幡宮。

ここでは茅の輪くぐりではなく笹の輪くぐりらしい。

なぜ茅ではなく笹なのか、気になったがよくわからない。


さらに北上してちょいと裏道をくねくねして阿佐ヶ谷へ。

阿佐ヶ谷村の名主だった相澤喜兵衛宅(代々相澤喜兵衛なのだ)をみると

もうすっかり更地になっていたのであった。


確か、相澤家の屋敷跡にそれにほぼ隣接している河北総合病院が移転するという計画だ。

詳細はこちらに→https://www.city.suginami.tokyo.jp/_res/projects/default_project/_page_/001/039/693/sannsyakyouteikai.pdf

現河北総合病院の跡地へは小学校が移転し、

小学校の跡地には商業施設がはいるのだそうな。

小学校は阿佐ヶ谷駅前からまっすぐ伸びる中杉通り沿いにあって、

駅からの近さも考えると商業施設にし、

小学校は車の多い大通りから1本奥へ移る、というのは理に叶ってはいるけれども。

相澤家は?

江戸時代初期からの名主屋敷の痕跡がなくなるのは寂しい。

相澤家裏手の少し低いところに弁財天がある。以前は片隅に小さく残っているだけで知る人ぞ知る存在だったけど、入口に立派な鳥居が建てられ、きれいな神社に整備されてた。




訪問すると、奥に真新しい稲荷が鎮座している。

もしやこれは相澤家の屋敷神だったのが、屋敷内からこちらへ遷座したのではと思ってFBで尋ねると、杉並区に詳しい方が確かにそうだという。なるほどそれなら納得。

阿佐ヶ谷駅前に残る天祖神社と相澤家は江戸時代からの痕跡を今に残していただけに残念ではある。

帰途、

馬橋庚申塔に何気なく立ち寄ったら、その向かいになんか碑が立ってる。

庚申塔はもともとこっちにあったのだ、というのだ。

何らかの事情で道路の反対側の三叉路に移ったけど、旧地の首長はしたいということらしい。

面白い。



右手前が旧地の碑。奥に見えるのが現庚申堂。

この庚申塔があるのは、青梅街道から分かれて馬橋を経由して阿佐ヶ谷の天祖神社&相澤家につながる古道で、村尾嘉陵も阿佐ヶ谷の天祖神社を訪問する際、ここを歩いてる。

日が暮れそうになってきたのでちょっと慌てて、

昔住んでいた成田東のアパートなんかをチェックしつつ帰宅。

思ったより遠くまで行けなかったが、その理由は簡単。

昔に比べると、ちょっと何かみつけては止まって写真を撮っちゃうから

やたら時間がかかるのだ。ロードバイクの意味なし、である。


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