2015年8月15日土曜日

終戦記念日に武蔵村山-前編-陸軍少年飛行学校と日立航空機立川工場変電所跡

終戦記念日。
街歩き仲間に誘われて武蔵村山方面へ。
うどんを食べつつ
立川(というか武蔵村山市の端っこ)にあった
陸軍少年飛行兵学校で働いていた池谷タカさんの
話を伺い、
その足で、少年飛行兵学校跡、さらに歩いて日立航空機立川工場変電所跡(中に入れる日なのだ)という終戦記念日らしいプチイベント。


待ち合わせ場所は武蔵砂川駅。
そこまでどうやって辿り着くか調べたところ、
JR国分寺へ出てそこから国分寺線というのが面白そう。


○西武国分寺線国分寺駅

上京して最初に住んだのが「国分寺」。
当時、南北自由通路はなく、
北口改札を入るとすぐに西武国分寺線国分寺駅。
そこから階段をのぼって国鉄(当時)のホームや多摩湖線のホームに
つながるというシンプルな駅で、
北口駅舎は木造だったなあ、
国分寺に丸井ができる数年前の話。

懐かしくて国分寺ルートを使ってみたのだが、
今は当時の「北口改札」なんてとうになくなっており、
西武線とJRの間は自動改札で区切られてた。

昔は改札を抜けてすぐ国分寺線だったなあと思いつつ、
小川駅まで乗り、そこから拝島線で武蔵砂川駅。

小川駅、面白い。

そもそも、多摩湖線は多摩湖鉄道、国分寺線は川越鉄道と別会社だったのだ。
そのあたりの経緯……要するに西武鉄道の歴史なんだけど、
調べようと思ったが戦時中のあれこれが絡んでややこしすぎて理解不能。



○村山うどん「翔」と東京陸軍少年飛行兵学校

戦前、武蔵砂川駅と玉川上水駅の間あたりに、「東京陸軍少年飛行兵学校」があり、
そこで職員として働いていた「池谷タカ」さんの娘さんが、
飛行兵学校の敷地内に民家を利用した「村山うどん」の店を開いている。



夏期休業中だが、お店を開いてくれて、約12人で貸し切り状態。
村山かてうどんやうでまんじゅうをいただきつつ(地うどんってよいものですな)、
ビデオを見たり、90歳になるというタカさんの昔話を聞く。
当時、17〜8歳だったそうな。

陸軍の飛行機乗りを養成する学校で、併設された資料館を見ると、
当時のスケジュールや勉強内容がわかる。


タカさんのこぼれ話をたくさん伺う。

歯を見せて笑ったら怒られたとか。
狭山丘陵の方にある家から自転車で通っていたとか。
初日、
まだ暗いうちに家を出なきゃいけなくて、
近所の自転車屋さんで自転車を借りて出勤したはいいが、
帰り、自転車置き場でどれが自分の自転車かわからなくて困った
(暗かった上に借りた自転車なので、どういう自転車だったのか覚えてなかったそうな)
とか
食べ物は戦後が一番苦労したとか
(戦時中は軍の施設で働いていたため、食べ物などには困らなかったそうな)。
農村地帯ではあっても、
「それまで作っていた作物は軍に供出してるから手元にはないし、
 急に終戦といわれても、作物は急には実らないから」
という。
そういう身近なできごとが印象的。

陸軍と海軍はやっぱ仲悪かったようで、
そういう話も。
手作り村山うどんの翔




○旧日立航空機立川工場変電所

そのすぐ近所に旧日立航空機立川工場変電所がある。
昭和20年、米軍の空襲・機銃掃射を受けたが、大きな被害を逃れ、
戦後も「そのままの状態」でしばらく使われた関係で、
生き残った。
今では当時の弾痕が残る戦災建築物として公園内に保存されている。


普段は中には入れないが、
終戦記念日ということでイベントが行われており、
内部も見学(ただし、1Fのみ)できるというので
訪れたのである。

ほぼ10年ぶりの再訪でありました。

長くなったので続きは後編。








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