2015年8月19日水曜日

日本地図センターへ自転車で走りつつ、騎兵連隊や常盤姫に思いを寄せる日

なぜか日本地図センターで杉並区役所の方と小林さんと打ち合わせ。

作例も撮りたかったので、
家を早めに出て、自転車でぐりぐりと寄り道しながら走る。

淡島通りから246方面へ筑波大駒場高校や駒場東邦高校横の道をぐっと入ると
騎兵山遺跡の解説板が。
このあたり、丘の上一体に騎兵第一連隊や騎兵学校、射撃場など軍の施設があった場所で
俗称騎兵山。
再開発時に弥生時代の大きな環濠集落が発掘されたのだ。
弥生時代ってことは、崖下の目黒川ぞいの低地で農耕してたんだろなあ。

このあたり、射撃場跡など、戦前の軍の施設が一部そのまま現役で使われて残っているのでその筋に有名だったのだが、今、解体の真っ最中。
遺構好きとしてはちょっと残念なのでした。

ここから池尻へ坂を下り、
上目黒氷川神社でひといきついて

日本地図センターへ。

打ち合わせののち、
ちょいと地図センター1Fの地図店で買い物をして

旧大山街道やら常磐塚やらをめぐって帰宅。

常盤塚の近くには常磐橋がかかってて、そこで常盤姫が自害したというのだが
常磐橋はどこにかかってたのか、あれこれ考察する。
常盤姫ってのは、世田谷に伝わる常盤姫伝説。
戦国時代、吉良頼康の側室、常盤姫にまつわる伝承で、
江戸時代の「名残常盤記」に描かれている。

常盤姫は世田谷城から逃げ出すとき、品川橋を渡り、
常磐橋で自刃し、その近くの常盤塚に埋葬されたというので、
明治の迅速図を見ると、常盤塚あたりで小さな橋がかかってそうな場所は
下記の位置しか思いつかない。
世田谷通りは谷頭をさけてるので、橋はなかったんじゃないかと。
江戸名所図会によってもすごく小さな橋だったそうで、
さてどうなのか。

駒留八幡宮の常盤弁財天脇に「常磐橋」の遺構が残ってるので、
いつか、
それがどこにあったのか、世田谷区郷土博物館で学芸員に尋ねてみよう。


やっぱ自転車はいいなあ。
走ってると力と技の風車が回って
身体が活性化していく感じ。
変身はしないけど。


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