2015年1月10日土曜日

[古道散歩]東京古道散歩の日-品川道編-

晴れ。
新潮講座「東京古道散歩」の日。

飛田給駅集合。
27人も集まってくれましたありがとう。
スタッフもいれて30人の大所帯。
ここから大国魂神社はちょっと歩くけど、
この駅、品川道の真上を斜めに横切ってるから
都合がよかったのだ。

そこから品川道を延々と歩く。
江戸時代、このみちは飛田給で甲州街道とつながり、
東府中でまた甲州街道とつながってた。
バイパスとして、じゃなくて、江戸時代初期、
まだ甲州街道がきちんと整備されてなかった頃、
古くから使われてた品川道が一部甲州街道の代替として使われていたらしい。

甲州街道が開通した、と年表に書いてあっても、
実際、全線開通かどうか、どこからどこまでが古い道を使ってて
どこからどこまでは新規に道を拓いたのか
その辺がわからないのがちともどかしいのだよな。

この品川道自体はどうやら中世の頃に拓かれたようで、
その前はもっと立川崖線に近いギリギリの道が使われていた。
それを「古品川道」と呼んでる。
下の地図だと、本願寺前のあたり。

崖線ギリギリだと谷を越える必要があったり
災害で崩れやすかったりしただろうから、
谷越えが不要な「品川道」にシフトしたんじゃないかと思う

実際、品川道と古品川道とおぼしき道の間に古墳や古代の集落跡が集まってて、
古代は立川崖線ギリギリに、中世はその少し北、
近世はさらに北の甲州街道沿いにと
少しずつシフトしていったのだ。
地形を見るとよくわかる。


その辺の面白さを味わいつつ、
大国魂神社(歴史を調べると、ここも武蔵総社とか六所宮と呼びたくなる)
で、ちょっと休憩して、
さらに足を伸ばして、坪の宮神社、高安寺と経て
少し暗渠をあるいて分倍河原駅南口で解散。
南口にしたのは、新田義貞公の像があるから。


その後、もうちょっと足を伸ばして分倍河原の古墳めぐりと称して
ちょっと散歩。
小さな古墳を2つ見たあと、地元の参加者が「放置されてる古墳をひとつ知ってる」というので、さらにレアな古墳へ。
おお。めちゃ何気なく残ってるじゃないかこれは素晴らしい。

そして分倍河原駅前で宴会……もとい、反省会へ突入。
今回はじめて参加してくれた夫妻が、
実は昔から(それこそ90年代末期)わたしのサイトを見てくれてて、
当時、デジカメ黎明期に撮った世田谷界隈の写真を見て一緒に楽しんでたそうで、
なんと芦花公園に昔いた「にーに」(猫です)のことも知ってて、
めちゃ盛り上がる。なんとなんと、である。
次回以降もきてくださるそうでありがたや。



0 件のコメント: