2016年1月7日木曜日

くずし字勉強会の日

新年最初の猫連載を書いてメール。

夜は都内某大学の某研究室に有志で集まって某教授のもとで「くずし字勉強会」。
いやあ面白いわ。
「くずして書いた変体仮名」というオソロシイものを読めるようになろうという
高校時代、古文漢文の授業はサボりまくってたツケがかなりでてて
つらいものがあるのだが、
今回は「宇治拾遺物語」に収録されてる小咄(でしょう、あれは)を読む。
テーマは「かわつるみ」。

にしてもだな、理系的にはどうしても
「元の漢字をくずしてこういう「かな」になった」という
ところから入っちゃうわけだ。
そうなると
「春」をくずして「す」になるってところでもう頭がパンクする。
その上「春をどうくずせばこれになるんだ?」というくずれかたで
筆で描きやすいようにくずれてるんだろうなと思うが
それはともかく、なぜ「春」が「す」になるのか。

たまらんですよ。
平安時代初期まで、さしすせそは「しゃしぃしゅしぇしょ」に近い発音だったのだ。
だから「su」は「shu」(に近い音)であり、「春」の音読みは「shun」であるからして
「す」なのである。
個人的にはそういう「歴史的な変化」を教えてもらえるのがすごく面白い。

「さしすせそ」の濁音は「ざじずぜぞ」である。
「たちつてと」の濁音は「だぢづでど」である。
これ、ローマ字で書くと、
「ず」は「zu」、づは「du」で、明らかに綴りが違うので
発音もちがうはずなのだが、今の日本では「ず」と「づ」「じ」と「ぢ」は
発音上の違いがない。
だがしかし、上古は両者は発音も別だったのだ。
おおだからそれぞれ違う文字がちゃんと割り当てられているのか。

江戸時代にはもう発音が一緒になってたそうである。

いやあ時の流れって面白い。
語彙の変遷は定期的にネタとして嘆かれるけれども、
長い目で見れば、文字も発音もどんどん変化してるのである。
大事なのは、
良く変わっていくのか悪く変わっていくのか……はすごく些細なことで
その変化の結果が良い結果を生んだかどうかは、そんなの両面あって
後世の人ですらおそらく判断できないわけで、
だったら変わっていくことを楽しんだ方がずっと面白いじゃないか。

わたしは基本的にIT系のライターで、好きでそれをやってるわけだが、
歴史が楽しいのもわたしの中では同じなのである。
たぶん、変わっていく事象が好きなのだな。
IT系って一番未来に向かって変化が大きい世界だから面白いのである。
80年代の「パソコン業界には未来しかない」的なワクワク感はたまらなかったものな。

さてもうひとつ今日仕入れた面白いネタ。
江戸時代のおみくじ。

「吉」なんだけど、「土に口」(いわゆる「よし」)と「士に口」(いわゆる「きち」)の両方が使われてるのだ。
さらに「凶」に「あし」とルビが振ってあるみくじもあって、
先生が見つけてきたんだけど、
つまり「吉」が「よし」なのは、凶を「あし」(悪しきのあし)と読むのと同じで
漢字に日本語で同じ意味になる読みをあてはめたものなのだな。

じゃあ「土に口」と「士に口」のどっちが正しいのか……
たぶん、その辺はどっちでもよかったんじゃないかと思う。
表記のゆらぎに対する寛容さ。
江戸時代の地誌を見てると、同じ地名でも違う漢字で表記されてるなんて日常茶飯事で、
表記より「音韻」の方が大事だったんだな。
逆にいえば、表記がよくゆらぐ上にムチャなくずし方で書くので、
文脈を読まないと文章を理解できないわけで、
そんな風に文脈依存されちゃうと、後世になってくずし字を読もうなんて思う酔狂な人にははなはだ迷惑だったりするのである。
それもまた楽しからずや。


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