2021年12月16日木曜日

1216:墨田区の古川が国境だった話

今週、唯一の外出なしの自宅作業の日。

一昨日取材したエリアの誌面用の地図を作り

使う写真をピックアップしていると、

鳩の街商店街と平行するように(というか、本来は逆か)、暗渠が気になったのである。

地形図を見ると少し低くなっててかつて「古川」と呼ばれていたことがわかる。

江戸時代中期の絵図ではかなりしっかりとした川として描かれてる。

もしやこれは、谷口榮先生がおっしゃってた、隅田川の古い流れで

往古、武蔵国と下総国の境界だった川ではあるまいか。

あれこれググってみると、

どうやら古隅田川の名残で、

隅田川(の原形となる川)は途中で二又に分かれてて、古川の方が本流だったという。



ただ、江戸絵図を見ると、江戸時代初期のものも今の隅田川以東は描かれてない。

古川が境界ならそこまで描かれても良さそうなものなのに、と思ったら、

遠近道印の寛文江戸外絵図がそうなってた。

ただこれでも川の太さが全然違う。

ある時期から今の隅田川の方が本流になったか。

寺島とか牛島が本当に島だった頃の話だ。

何かエビデンスはないかと探すと、

江戸東京博物館が発行している「えど友」のN0.52にこんな記述があった。


1368年の古文書に「武蔵牛島」という記述があったこと、別の資料ではその対岸に「亀津(亀戸)とあったこと。
また、浅草寺論蔵再興云々という文書に、流れたふたつあって片方が隅田川、片方が宮戸川と呼ばれていたこと。
が書かれている。

浅草寺の観音さまが見つかったのが宮戸川なので、今の隅田川下流が宮戸川、暗渠になった古川の筋が隅田川だったと推定されるわけで、

まあ、牛島も寺島も本当に島だったころの話である。




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