2016/03/03

かなとカナ

ascii.jpに猫連載を書いてメール。
夜は都内某大学の某研究室で久しぶりに
「くずし字勉強会」。

いやもう、くずして書いたかなだと思ったら実は漢字だったとか
同じ行で同じ読みのかなを別の文字で描いていたり
たまらんですわ。
内容から読み解かないと判別がつかない文字が多くて
「文脈依存しすぎー」と叫んでおります。

「へうげもの」を読んでるとよく「景と渡り」なる文言が出てくる。
「景」は景色や風景の「景」で、見た目の美しさ、「美」。
「渡り」は実用性。「用」。
千利休は「渡りを六分、景四分」といったそうな。

で、かなの文章もそうで、「テキスト」としては「景」より「渡り」が重視されるべきなのだけど、実際には「景」が重視されてて、時にはこれ「渡り三分」くらいじゃないかと、見た目は美しいけど、これ読めたんかと頭抱えるですよ。
きっと当時の人も文脈依存で読んでたんじゃないかと思う。

漢字カナで書かれた文書と見比べると面白い。
かな漢字交じり文だとくずしまくってるのに
カナ漢字交じり文だとくずしてないことが多いのだ。
かなとカナの扱いの違いが垣間見えて面白い。

まあそもそも
古道で出会う道標に書かれた地名や
江戸の地誌が読めるようになったらいいなあという程度ではじめたので
もう頭抱えております。
たとえばこういうの(↓江戸砂子)。
今の時代、古い文献がこうしてデジタル化されてるから
それを利用しない手はないのだよ。
著名な文献は翻刻されているけど、江戸砂子は有名な割に
翻刻版を見たことがない。



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