世田谷区立郷土資料館は歴史の展示に加えて、資料コーナーが充実してて素晴らしいのであるが(東京古道散歩を書くときはここに通ってあれこれにらめっこしたもんです)、
今回の企画展は特に素晴らしい。
「世田谷の土地-絵図と図面を読み解く-」である。
これがたまらんのだ。
というわけで、雨の中、
街歩き友達と上町のサイゴンで待ち合わせ、ランチを食べてから
いざ郷土資料館へ。
この展示、何が素晴らしいって
「巨大な江戸時代の世田谷の地図が惜しげも無く展示されてる」こと。
古地図好きは1日いても楽しめるレベルの充実っぷりなのである。
しかも当時のままではわかりづらかろうと、
いちいち描き直したものを横においてくれてるのだ。
もうみんな、この地図の前から動かないの。
入館して40分たったのに全然進んでないよ、と笑いながら。
実はこれ、文化3年(だったかな?)の江戸時代の実測図。
実測図なので位置関係がそれなりに正確ですごくわかりやすいのだ。
こんな地図を作ってたなんて井伊家すごい。
そう、世田谷区の地図ではなくて、「井伊家世田谷領」の地図なのだ。
だから経堂や喜多見や等々力や、世田谷区の範囲でもけっこう白いままのエリアが多く、
それが残念なのである。
ちなみに今は狛江市になっている岩戸や和泉も当時は世田谷領だったわけですな。
もうこれだけでいつまでもいられる感じ。
惜しむらくは、空白地域。
空白地域(江戸時代はそのほとんどが幕府や旗本領だった)の実測図もあればいいのに、
ないんだろうなあ。ああ。
さらに各地域の絵図などもちゃんと、描き直したものを横に置いてくれてるからわかりやすい。
多摩川近くの村はすごく詳細な絵図が残ってる。
実はこれ、多摩川が流路を変えるたびに境界争いが起きるので、
それに決着をつけるために境界を明記した地図がその都度、作られたんだそうな。
なるほど。それは地図が必要だ。
明治時代初期の地図を見ると、江戸時代の流路に沿って描かれた境界線が
流路が変わったあともしばらく維持されてて、
今楽天が引っ越してきたというので有名な二子玉川の再開発区域も
明治45年に東京府と神奈川県の境界を多摩川の中央とするまで
実は神奈川県だったのである。
それはともかく、江戸時代の絵図を見ると多摩川の流路の変遷がよくわかるのだ。
面白すぎてたまらん。
しかも図録が素晴らしい。展示をざっと見たら、
あとは図録とにらめっこしてニタニタすべし。
この図録は必須。これを買わねば何を買うというレベル。
あと1冊買っちゃうかも←1冊はばらして、地図だけをスキャンするのだ
いやあ興奮した。古地図好きは行くべし。
ついでに近世の耕地整理で碁盤目になっちゃったエリアの話もあり、
農地を碁盤目に整理し直して住宅地として売り出した時代も味わえる。
世田谷区郷土資料館は昭和39年開館の都内最古の郷土資料館だそうで
さすがである。庭先に刺さってる板碑は無造作すぎるけど。
他の自治体もこういう企画展やってくれないかなあ。
そしたら図録買いに行きます。
その後、小雨交じりの中、ブログ「経堂界隈」のOさんの案内で経堂に向かって
六郷田無道を街歩き。
→世田谷資料館→経堂同潤会住宅 | 経堂界隈 - 楽天ブログ
夕刻、残念ながらわたしは先約があったので経堂で離脱。
代々木八幡で友達らとポルトガルの微発砲なワインを飲みながら
バカ話をしつつ、
ポルトガルな魚介類を堪能。
いやあ旨かった。出汁が旨い。貝も海老も旨い。
豚ハマグリのリゾットとかわけわからん。
久しぶりに旨いものを喰いました。やばい。
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