2015年12月6日日曜日

東京古道散歩で旧中山道を歩く日

東京古道散歩の日。


巣鴨から旧中山道をてくてくと歩く。
一本道なのでまあなんてことないのだが
わたしもあまりしゃべることがない。
古道というより、昭和な商店街を楽しむウォーキングといって過言でもなく。

この道もよくできてて、
谷端川と石神井川の間の尾根道を
きれいにたどってるのだ。

で、今日のログはこちらのとおり。
いい感じに尾根道を通っているのがわかるというもんだ。

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ついでに岩槻街道と川越街道と鎌倉街道もプロットしてみた。
鎌倉街道は推定。こんな感じで通っていたと思われる。

中山道で気になるのは、
この道はいつからあったのかということ。
徳川家康がここを街道と決めて新しく作ったという話もあるけど
もっと昔から道があってもおかしくない場所なのだ。
でも中世の文献で出てくるのは、
もうちょっと北側の岩槻街道の道筋(稲付城や中世に遊女がいたほど賑わってた岩淵宿豊島郡衙前などを通る)や
もうちょっと西の川越街道(川越街道の宿は室町時代の文献にすでに出てくる)
であって、中山道筋の地名はまず出てこないのだ。
実際に歩いてみても、
街道沿いの寺社で中世からそこにあったと覚しき寺は観明寺くらいで
他は江戸時代創建か、
他の場所から移ってきている。
乗蓮寺(今は赤塚だけど)は中板橋あたりから移転してきたし、
東光寺もちょっと離れた場所から移転してきてる。
街道筋を北へ向かうと南蔵院もあるがこれも移転してきたお寺。

ただ荒川近くへ行くと志村城があり(豊島氏一族の志村氏が築城したといわれてる)、
道が通っていても不思議は無い。

まあ野道はあったが街道というほどではなかったというレベルか。

中山道は平尾宿の真ん中あたりで川越街道と分岐するのだが、
江戸時代以前の川越街道の道筋も気になるのである。
今の中山道から川越街道の筋だったのか、
いやそれだと遠回りなので、
江戸城から上板橋宿へ最短距離で向かう道があったんじゃないかとか。
川越街道は
室町時代、上杉氏(の家臣の太田道灌親子)が川越城と江戸城を築いたとき
両者を結ぶ道として整備されたとされてて
そのときの道筋がわかるなら知りたいと思ってるのである。

東京あたりの中世はずっと戦国時代で
各地に砦やら城やらが造られていたで
それらをプロットしていくといろんな道が見えてきそうで面白いのだが
なかなか手をかけてる時間がないのである。



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