2018年3月3日土曜日

東京古道散歩で喜多見から狛江へ

3月3日だけど東京古道散歩の日。

いやあ、今日のコースを比較的近所にしておいてよかった。
何しろ身体が疲れてるのである。

13時半、喜多見駅をスタート。
線路沿いに東へ歩き、野川にかかる上野田橋から、
野川の向こうに見える国分寺崖線と成城の話、
今の野川は高度成長期に新たに作られた流路で、
昔は入間川だったこと、近くに水車小屋があったこと、
そして上野田橋から江戸期の地図を見つつ、当時の道を南下。
かつて酒蔵だったにごりやわきを過ぎ、
六郷用水(次大夫堀/野川旧流路)にかかっていた滝下橋。
親柱が半分埋まって残っている。


道なりに進むと、昭和な侘び商店街が少し残り、品川道と合流する地点に
庚申塔と念仏車。

1805年の喜多見。「目黒筋御場絵図」より
喜多見中通りを東へ向かい、次大夫堀公園で鍛冶屋実演を見たのち
デイリーストアで休憩。

そこから登戸道(津久井道)を南下して、
登戸道と喜多見中通りと水道道路がややこしく交差する変則六叉路、
登戸道沿いに歩き、クランク状に曲がると
また水道道路にぶつかり、残された三角地帯を愛でる。

須賀神社と天神塚古墳、第六天塚古墳、稲荷塚古墳と訪問。
古墳群の中でこの3つだけしっかり残っているのは
墳頂に祠が建てられ、聖なる場所として扱われたからに違いなく、
その証拠にそれぞれ「天神」「第六天」「稲荷」と名が付いている。

東京に未だに残る古墳のほとんどは
神社として祀られていたか、寺社の境内に取り込まれたか
削平してまで利用するのが難しい場所であったか(多摩川台古墳群)
どれかであるといって過言ではない。

慶元寺の悠然とした参道を歩き江戸太郎重長、そして慶元寺古墳。

慶元寺を抜けると喜多見氷川神社の泰然とした長い参道と
元禄時代に喜多見氏(江戸氏)が奉納した石鳥居。
明治前期の喜多見。慶元寺と氷川神社が村の端にあり、そこと六郷用水の間に集落があったことがよくわかる。

品川道に出て狛江へ。
二の橋(慶岸寺橋)を過ぎ、六郷用水暗渠沿いにあるいて一の橋。
一の橋交差点には石橋供養塔有り。
東西南北行き先が刻まれている道標でもあり、
古道散歩らしくそこで掘られた地名を読む。
北:ほりの内/高井戸道 東:六郷/江戸道

一の橋から僅かに歩くと土屋塚古墳。
住宅街にぽつんと大きな古墳が残っており、
ちょっとしたサプライズ。

品川道に沿って歩き、小田急線効果をくぐり、
駄倉橋跡、駄倉塚古墳を見てゴール。

お疲れ様でした。あたかくて街歩きに最適な日でありました。

解散後、有志5人でオマケ散歩で
狛江古墳群から、経塚古墳。
田中橋と鎌倉橋を経由して亀塚古墳。
泉龍寺と弁天池を経由して狛江駅。
こじゃれた店でフレンチトーストをつつきつつ歓談して終了。

喜多見から狛江ルートはやっぱ面白い。
ほぼフラットでありながら、
古道・暗渠・古墳・古社・古刹・念仏車・石橋供養塔と見どころ満載で
慶元寺と喜多見氷川神社の長い参道は
そこだけ空気と流れる時間が違う。

陣内先生は「東京の基層」といういいかたをする。
基層へのアプローチはいくつもあり、
建築からはいっても地層からはいっても寺社からはいってもいいわけだが、
現代の縦横無尽に張り巡らされた道路をひとつずつ剥がして
古い道筋を露わにし、そこから東京の埋もれたレイヤーを発見する、
それが古道散歩の楽しさである、といって過言ではないのである。


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