2015年3月23日月曜日

原稿書きと利休の日--赤瀬川原平の「千利休−無言の前衛」

家電批評の原稿書き週末。
バタバタと原稿を書く。とりあえず4ページ分ほど書いてメール。

最近読んだ本で珠玉だったのが赤瀬川原平の利休本。
ああもっとはやく読んでおくべきだったと思ったほど。
「千利休−無言の前衛」

これ、名作ですよ。
千利休は戦国時代ものにも茶の湯ものにも欠かせない大物なので
それぞれいろんな描き方をしているし
いろいろな解説をされてるけれども
この本はそれらとは一線を画する面白さなのだ。

千利休は当時の「前衛」であり、
赤瀬川原平は同じ前衛芸術家としてそれに寄り添ってるのだ。
何よりそれが面白い。そこをすっと受け入れられる人にはたまらん本である。

前衛芸術家として
千利休と路上観察学を結びつけ、
前衛だった茶の湯がなぜ「型にはまった茶道」と思われているのかを解きほぐし、
なぜ千利休のあとが古田織部だったのかも考察してくれる。

千利休と路上観察学が結びつくあたりがすごい。
「ひょっとして、むかし、歪んだり欠けたりした茶碗をさ、利休たちが”いい”なんて言い出した気持と、同じなんじゃないのかな」
である。

今、東京スリバチ学会に集まった人たちとかなり付き合いがあるんだけれども、
その精神は路上観察学やトマソンを受け継いでると思うわけで、
面白がる対象がわたしはたまたま古道(であり、それに付随する、取り残された庚申塔や道標などなど)で、他の誰かは暗渠で、他の誰かは地形で、他の誰かはマンホールだったりするだけで、その根っこは路上観察学ときっと同じで、
その感覚を持ってる人たちが集まるとみんな違うところを見てるんだけどその精神は共有されてて、とても面白いのである。

ここ数年、「へうげもの」にハマってることや、東京の古道を探るのにややこしい中世の歴史が欠かせないこともあって、中世から戦国時代にかけての本をよく読んでるんだけれども、そうすると当時の状況がいろいろと見えてくるのである。

村田珠光の「月も雲間のなきは嫌にて候」である。

そういう意味では、千利休が登場する本やらマンガやら古田織部に関する云々やらそういうのが頭の中でいろいろたゆたってる今
「千利休−無言の前衛」を読んだからこそこれだけ面白がれたのだ。
よってある程度利休が生きていた時代を知っていて、なおかつその時代のイメージが凝り固まってない人にお勧め。 逆に基礎知識がない人が読んで、利休ってこういう人だったんだ、と予断を持っちゃうのはよくないかもしれない。

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