2015年9月14日月曜日

鬼怒川と小貝川。奈良時代と現代。

9月10日に鬼怒川の堤防が決壊したり越水したニュースに釘付けになって以来、
あのあたりが気になって仕方なく、
ジャパンナレッジなどにあたってヒマを作ってはあれこれ調べてたのである。
せっかく調べたのでここに公開。

鬼怒川はもともと「毛野川」と書かれてた(続日本紀など)。
鬼怒川の源流から上流は栃木県(昔の下野国)であり、
源流は栃木県と群馬県の境近く。

群馬県はかつての上野国、栃木県はかつての下野国。
両者はもともと「毛野国」というひとつの国だったが、
「上毛野」と「下毛野」に分かれ、
国名は好字二字で表せというお達しにより
「上野」と「下野」になったわけで、
だからいまでも「下野国」と書いて「しもつけのくに」と読むのである。
文字は消えても「け」は残ったのだ。
で、毛野国のど真ん中を流れてるので毛野川。
もしかしたら毛野国の最初の中心部は毛野川流域だったのかもしれない。
そこまでは調べてないけど。

やがて鬼怒川は南下し、茨城県に入る。
今は茨城県だけど、往古はこの川が
「下総国」と「常陸国」の国境となっていた。

下総国は今の千葉県北部だけど、実は古河あたりまでぐぐっと細長く伸びてた
でかい国だったのだ。
今、そのエリアは千葉県でなく茨城県になっている。

で、奈良時代の話に遡る。
768年。道鏡の時代である。

続日本紀によると、
神護景雲2年(768年)の8月、
こんな奏上がなされた。
講談社学術文庫の現代語訳を元に
めちゃ意訳したものがこちら。

下総国「7年前から毛野川(今の鬼怒川)を掘って洪水を防いでくれといってるのに実現してない。これでは毎年洪水だ」 
常陸国「水路予定地が神社の敷地にかぶってるからムリ」 
太政官「ぶつぶついわずすぐ両国で協力して掘れ 。国境は旧流路のまま維持しろ」 

つまり奈良時代からこのあたりは肥沃であるけれども頻繁に洪水が起きており、
往古から水に悩まされ、治水してきたところなのだ。
(20150915追記:先立つ758年、毛野川の大洪水があり多くの田が被害を受けてる)

大きく蛇行してた旧河道はその名残があり、
奈良時代にどう河道を変えられたかが今でも地図を見るとわかる。
奈良時代の流路が今でもわかるってすごい。
(20150915追記:下記の地図、奈良時代の治水工事の場所が違うかも。
  参考:http://www.kasen.or.jp/c_study/pdf_study02b/study02b_25.pdf
 ちょっと調べ直し中)
当時は大工事だったろうな。



その頃の鬼怒川は、下妻市南部を東に向かい、小貝川(昔は子飼川)に合流。
下妻市以南は今の小貝川が鬼怒川本流だったのだ。

この河道付替えの影響で鬼怒川は徐々に南下するようになり、
その後、何度も治水工事が行われ、
鬼怒川と小貝川に分かれた今の河道となったそうな。

ちなみに、このちょっと下流辺りに平将門の本拠地があった。

今回の豪雨で越水と決壊が起きたのはもうちょっと下流。。
もともと鬼怒川と小貝川に挟まれた低地で、基本的に田圃で、
決壊したらひとたまりもなかったのだ。

iPadのFieldAccess 2で地理院地図と明治の迅速図を重ねてみた。
上のマークが越水箇所。ソーラーパネル設置のため削ったからといわれてるとこで、
明治の迅速図を見ると、確かにここが川が運んだ土砂による自然堤防だったことがわかる。
下のマークが決壊場所。
ちなみに小貝川の「!」マークは昭和61年(1986年)、台風による小貝川堤防決壊の場所。実は約30年前とほぼ同じエリアだ。


今回の被害については
いちはやく国土地理院地図が浸水範囲データを掲載されている。



詳細は下を。
別ウインドウで観たい人はこちらを→国土地理院地図
該当箇所の航空写真を見ることもできる。



驚いたのは、極めて広範囲であること。
無事復旧しますようお祈りします。


個人的には農作物への被害と
東武宇都宮線が気になるところですが←宇都宮で開催される秋のジャパンカップ見学にいく人の足が……←わたしは今回は行かないけど




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