2013年8月26日月曜日

「タモリ学」と「タモリ論」

久しぶりに立ち寄った駅前の書店で前から気になってた新潮新書の「タモリ論」を見つけて買ったのが昨日のこと。
それを読んだのが今日のこと。

「タモリ論」は「論」というより「笑っていいとも」と「お笑いBIG3」をベースに、
作家らしい観点でタモリについて語ったエッセイ本であり、
楽しく読ませていただいたが、物足りなさを感じたのは
わたしにとってのタモリのベースは「BIG3のひとり」でも「笑っていいとも」でもなく、
80年代の「今夜は最高」や「夕刊タモリ こちらデス」であり、
中州産業大学教授で、四ヶ国親善麻雀で、イグアナの物まねだったからかもしれない。
お笑いBIG3のひとりとして意識したことはなかったもの。
「お笑いの世界」の人じゃなくて、「筒井康隆-赤塚不二夫-山下洋輔」というラインにつながる、
なんと称したらいいかわからないけど、そっち側の……世の中の森羅万象をフラットに面白がる人たちという認識なのだ。
逆にいえば「笑っていいとも」をベースに
あれを何10年も続けられるという沼の深さに着目したのは面白いのだけれども。

「タモリを論じる」という意味ではマトグロッソの「タモリ学」が筆頭だろう。
こちらの方が「論」である。必読である。
「偽善」「意味」「言葉」「アドリブ」と各テーマを中心にタモリを論じている。
最初に「偽善」を持ってきたところが、あの頃のタモリを面白がっていた人にはすごくしっくりくる。
タモリ学_1 タモリにとって「偽善」とは何か | Matogrosso
「タモリ論」と「タモリ学」の両方を合わせて読むと
ちょうどいい感じなんじゃないかと思う。


わたしが最初にタモリを知ったのは高校生の頃だった気がする。
友だちがカセットテープに録音したものだったか
自分でラジオを録音したものだったか覚えてないのだけれども、
四ヶ国親善麻雀を聞いては大笑いしたもので、
たぶん、タモリのファーストアルバムにはいっていたものだろう。
その頃、筒井康隆を好んで読んでたわたしは、
「腹立半分日記」に出てくるタモリの話題が気になってしょうがなかったのだが、
タモリがイグアナの真似をしてたという深夜番組は名古屋で放送しておらず、
1981年にはじまった「今夜は最高」を食い入るように見てたのである。
あれはいい番組だったなあ。

そして上京した1982年。
「タモリ倶楽部」と「笑っていいとも!」がはじまった年であり、
タモリがテレビにどんどん登場しはじめた年でもある。
金曜夜の「タモリ倶楽部」と土曜夜の「今夜は最高」は週末のルーチンで
タモリの何が面白くて観てたのか、
真面目にやってるのかふざけてるのかその辺がさっぱりわからないというか
真面目にふざけてるというか、森羅万象に容赦ないというか
普通の会話とふざけた会話とホラが同じ地平ですーっと出てくるのが
面白くてしょうがなかった気がする。
いわゆるお笑いって「ここで笑わせるぞ」というタイミングがわかるようにやってる予定調和なところがあり、だから安心して笑えるのだけど、タモリの場合はそれがないのだ。
思わぬところですーっとホラをふき、すーっとふざけてすーっと元に戻る。
現実と虚構とホラとデタラメの境界線が限りなく曖昧なところが好きだったのだ。
その辺はもうわたしがぐだぐだいうよりも「タモリ学」を読んで貰うのが一番いいかと思う。タモリが予定調和を嫌う様子がちゃんと描かれている。

それを体感できたのはもう僥倖というほかない。
「タモリ倶楽部」出演である。

いやあ、緊張した。すげー緊張した。

収録前に江川達也さんやビビる大木さんとはちょっと話をしたけれども、
タモリさんは収録直前までやってこないのだ。
全体の準備が整ったら、タモリさんが現れて、わたしの隣にちょこんと座ったとたん
本番がはじまったのである。
リハーサルはまったくなし。すげー。というか、心の準備ができてねー。
だからもう、タモリさんと目を合わせて「よろしくお願いします」といっただけで
あとは本番。
だから、挨拶した1分後にはもう収録がはじまってて、
番組中にしゃべったことはほぼその場の思いつきです。
浅間山の湿気がたまらんというとことか。
まさかあそこにタモリさんがのってくるとは思わなかったわ。
狛江の古墳群を知ってるのにも驚いたし。
「おれが行ったときは鍵がかかってて入れなかった」とつっこまれて困ったし。
放送はされてないんだけれども、
突然わたしのオレンジ色の服にツッコミをいれたり
自転車のスポークが少ないけど大丈夫なのとツッコマれたり
写真を見ながら突然「ここ、拡大できないの」といいだしたり
ルーペ機能であわてて拡大してみせたらすげー細かいところをチェックしてたり。
こんなことあっていいのかというくらいめちゃ面白い数時間でありました。
わたしなんぞがあんなひやひやしながらも楽しい時を過ごして申し訳ない。

そのとき、タモリ学の「タモリにとって『アドリブ』とは何か」に書いてあったのはこういうことかと思ったのだ。
タモリ学_2 タモリにとって「アドリブ」とは何か | Matogrosso
リハーサルも何もなしにいきなりはじめるのはわざとなんだなと。
こっちはいつものクセで、ある程度展開を頭の中で考えつつ写真を出していくのだけれども、
時間とか展開とかそんなものは考えるなとタモリさんにいわれてるようで。

ああ、できればもう一度出てみたいなあ。
今度は屋外ロケで散歩するというパターンで。


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