2012/04/05

「失敗の本質」の次は「空気の研究」かな

天気はいいのだが風が強そうであったし
何より書くべき原稿が目の前にあるわけで
まあ今日はいいかと
ITMediaにOM-Dのお話し第2弾を書き
ascii.jpに猫連載を書いてメールして
1日がほぼ終わったわけである。

何日か前のエントリーで「失敗の本質」の話をしたわけだけれども、
これとペアで読むべきなのは「空気の研究」(山本七平)ではないかと思うのだ。
といっても、まだ読み切ってないのだけれども、
これが日本独特の「空気」について言及した本で、
昭和52年に出た本で、取り上げられている例が70年代の日本社会を知らないとピンとこないネタではあるのだが
それを差し引いても実に面白い。

戦艦大和出撃決定の経緯や、70年代に問題となった公害問題などの実例を挙げつつ、
一体、以上に記した「空気」とは何であろうか。それは非常に強固でほぼ絶対的な支配力を持つ「判断の基準」であり、それに抵抗する者を異端として、「抗空気罪」で社会的に葬るほどの力を持つ超能力であることは明らかである
と看過してるのだ。さらに
だが通常この基準は口にされない。それは当然であり、論理の積み重ねで説明することができないから「空気」と呼ばれているのだから。従ってわれわれは常に、論理的判断の基準と、空気的判断の基準という、一種の二重基準のもとに生きているわけである
と続き、われわれが口にするのは論理的判断の基準だが、本当の決断は「空気的判断」で行われてるのだというわけだ。戦前戦後を問わず。
面白いよねえ。たとえば、2chまとめなんかをみえると、半分以上の書き込みは、論駁よりも「自分たちの考えが正しいと思わせる空気をつくる」のが目的にみえる。そういう空気を作っちゃった方が勝ち、的な、ある意味とても正しい戦略をもってきてるわけで、

今でも政治報道を見てると、とある政策を実行するのはこれこれこういう理由でこれをこうしなければならないから、という理路整然と政治家が説明するシーンってまず出てこない。報道されてないだけかもしれないけれども、報道に乗っかるのは、抽象的だったり意図はわかるけどレベルの比喩だったりアバウトな概念だけで、昔は「大の大人がやってるんだから、論理的な裏付けはあるんだけど、話がややこしくなると聞いてもらえないから、そういういいかたになっちゃう」のかと思ってたが、どうも、論理的な話し合いはしても、決定が「空気的判断」でなされているのなら、そりゃあ、理路整然と説明することなんてできやしないわなと。
新聞やテレビのニュースも理路整然と説明するより、「空気」を作ることを主眼としてるように思える。

原発再稼働の話も同じで、これこれこういう条件なら再稼働を認める、という話には絶対にならない。ある程度の「目安」は目安は示されるけど、目安は「再稼働してもいい空気」を醸成するためのきっかけにすぎないわけで、原発を再稼働させたい人は、そういう空気になるのを待ってるのだろう。

そういう「空気」を壊すにはどうするか。よくいわれる「水を差す」ことで、「空気の研究」の第2章は『「水=通常性」の研究』なのだ。空気の次は水について言及してるのが面白い。
空気を醸成し、しばらくしたら水を差す、を繰り返して来たのだ。

キリスト教世界と日本との差異にも言及してる。
一番興味深かったのが
戦前の日本では、天皇は現人神であり、アマテラスオオミカミの子孫である、と教えつつ、同時に進化論も教えていたという話をアメリカ人将校が理解できなかったという話。聖書を信じるか進化論を信じるかという論争がおきる国からすれば、「天皇=現人神」という思想と進化論(つまり人類は類人猿から進化した)は矛盾するじゃないか、という話。
でも当時の日本にとってそれは矛盾するものじゃなかった。

明治政府って西欧諸国を見て、日本を統治し直すのにキリスト教社会を参考にしようとしたんじゃないかと思ってる。
キリストの代わりに、天皇を現人神とし、伊勢神宮を頂点とした一神教的な神道を作り出し、
一村一社運動(ひとつの村にひとつの神社。このおかげで村にあったいろんな神社が村社に合祀され、けっこうな神社が消えた)によって、村社を教会のような村人が集まる場所にしようとしたんじゃないかと。
で、邪魔だった仏教は排斥し、神仏分離が行われて少なくない寺が廃寺に追い込まれ(それまでは普通の神社は、近くの寺が管理してたし、両者が合体して寺の中に神社があるのも当たり前だった)たわけである。
どうだろう。
本書によると江戸時代までは天皇家にも仏壇や位牌があったのだが、明治時代になってそれはなかったことにされたのだそうな。それは知らなかった。

で、「論理的判断の基準」と「空気的判断」のダブルスタンダードのひとつとして、「進化論」と「現人神」が矛盾なく共存してたのだ。

いやあ、面白い本です(まだ読み切ってないけど)。
まあ、70年代的ネタ(公害や原子力や共産党やその辺の話)のところでひっかかる人は多いだろうが、それはそれとして、「失敗の本質」も「空気の研究」も、21世紀の今読んでもかなり通用しちゃいそうなところがなんともはや面白く、未だに増刷されているわけです。

ついでにいえば、『「空気」と「世間」』(鴻上尚史)もいい。
こっちの方が現代の「空気」の話をわかりやすく書いてる。
鴻上尚史だから語り口も軽妙だし、「空気の研究」をところどころで引用して噛み砕いてくれている。
わたしも昔これを読んで『「空気」の研究』って本を知ったのだ。

なんかこう昔から空気が醸成されてそれが渦をまいて高気圧になってぶわーーっと盛り上がるみたいなのが超苦手だったので、いい加減どうにかならんかなと思いつつ。。。

0 件のコメント: