2012/04/15

サッカー観戦ついでに多摩古道散歩

律令時代から、相模国府から武蔵国府へ向かう官道が通っていた多摩丘陵。
地図を見るとわかるけど、箱根の山を越えて(昔は箱根じゃなくて、御殿場から足柄に抜けてたんだが)
武蔵国府(府中)へ向かうルートを作ろうとすると、
今の多摩ニュータウンのあたりを越えていくのが最短なわけで、
往時から交通の要衝であり、
中世には鎌倉と北関東の上野国をつなぐ鎌倉街道が通っていたのが小野路なのだ。
そこには鎌倉街道の宿があったといわれてる。

で、どんどん開発されて無残な姿をさらしていく多摩丘陵なんだけど、
奇跡的に「鎌倉古道の本道だった」といわれてる道が残っているのだ。
一度行ってみたかったのだけど、なかなか機会がなく
(以前訪れたときは自転車だったので断念した)
今回、野津田陸上競技場で開催される町田ゼルビアの試合を観に行こうと誘われたので
それならばちょっと遠回りして古道を歩こう、と主張して
歩いて寄り道してきたのである。

鶴川駅からバスで多摩車庫前まで行き、いざ鎌倉古道へ。
そのGPSログが紫の線。芳賀善次郎氏の「旧鎌倉街道 探索の旅〈上道編〉」では今回歩いた道を本道として紹介している。
ただ、宮田太郎氏の「鎌倉街道伝説」によると、従来鎌倉街道本道といわれていた道(今回歩いた道)より古い鎌倉街道を発見したということで、それを地図に赤い線で記しておいた。
実は「鎌倉街道」って時代(鎌倉〜室町時代)によってルートを微妙に変えてるし
メインの道だけじゃなくて、支道や軍道もありでこの辺り、宝庫なのだ。
今回歩いたのはその中で一番ポピュラーなルートと思ってもらえればいい。
紫が今日歩いた道。
行き方は簡単。
恵泉女学園大学の裏の古そうな道を入り、しばらく道なりに南下する。
と、途中で分かれ道がある。舗装されている丘を下る道は、明治初期に開拓された府中道。
左手の細くて未舗装のさらに丘陵を上るのが「鎌倉古道」。
左手に見える細い道が鎌倉古道
より古い道が発掘された(上の赤い線)ので、紫の線はそれよりちょっと時代は下るらしいが、
古鎌倉街道のひとつであることは間違いなさそうであり、
江戸時代は大山街道として、あるいは家康の遺体を駿府から日光東照宮へ運ぶときに通った道として有名であり、
今でも確実にたどれるというのでこっちを選択。

いやあ、古道に沿って歩き続けると、多摩丘陵の自然が残ったきれいな道がぞくぞくと。
もうこんな感じです。お散歩好きには垂涎モノ。
見事な古道
しばらく道なりにすすむと、やがて、舗装路に出る。ちょっと残念。

このまま南下すると、布田道と合流する。
布田道を少し東に向かうと撮影散歩で歩いた関屋の切通し(4月1日のエントリー参照)があり、そこから南下するのが鎌倉古道本道といわれている道。上の地図を見るとわかるとおり、少しだけいってみた。
布田道に戻り、小野路へ向かう。
中央が布田道と合流した旧鎌倉街道。右上に小さな稲荷が見える。
このあとは小野路に出て、小野神社前を通り、旧大山道に入って大山道一里塚へ。
ここで古道散歩からお別れして、野津田陸上競技場でサッカー観戦したのでありました。

いやあ、よい古道でありました。



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