2021年1月5日火曜日

0105:等々力から深沢周辺自転車散策

朝、目覚めたので、ちょいとカメラ持って出動するか、ってんで自転車で用賀から等々力方面へ。あっち方面で最近訪れてないとこを回ろうってんで

「兎々呂城」(とどろ城)跡。ここ、行ってみると確かに台地の縁で城を構えるのに良いわ。


今の都立園芸高校。小田原北条氏の家臣小谷岡氏(南条氏)が戦国時代に築城という。世田谷は吉良氏の世田谷城が中心だったが、ここは小田原北条氏の家臣が直接治めていたのか。

「兎々呂城」の「城」を「キ」と読んで、これが「等々力」の地名語源という説もあるそうだけど、さすがにそれはなさそう。等々力の語源は等々力渓谷の「轟き」、つまり滝や急流の水が大きな音を立てて流れるさま、という方だろうな。

そのままちょっと南下して、上野毛通りの旧道(大山道)に入り、いくつか道標や石仏をチェック。ここ何年ぶりだろう。

目的は大山道と上野毛通りの合流地点。ここは目黒通りと大山道の分岐点で股に石仏群があるのだ。しかも道標を兼ねてる。


10年ぶりくらいにきた。

目黒通りに入って玉川神社へ。元は熊野神社。明治になって近隣の神社を合祀した際名前を変えた。

北上して深沢神社へ。ここは実は初訪問。元は三島神社で、新編武蔵風土記稿によると「小谷岡重長が父山城神重頼といひしもの、此地を領せし頃永禄七年伊豆国三島大明神を勧請す」らしい。小谷岡氏は三島も領していて、三島神社を崇敬していたそうな。


で、大正4年に近所の神明社などを合祀して深沢神社と改名。

ここの見所は境内から急な階段を下った崖下にある弁天社。そこは呑川が削った崖で、湧水があったのだろう。


深沢神社からは呑川沿いに桜新町へ走りそこからシュッと帰宅。

1月9日の新潮講座「東京古道散歩」は開催予定、ということで資料作りに取り掛かるが、なかなかペースが上がらずに途中で断念して寝る。



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