2011年5月6日金曜日

元禄大地震の記録

「武江年表」なる書物がある。
江戸末期、「江戸名所図会」の著者として有名な斉藤月岑が表した
「武蔵国江戸の年表」(だから武江年表)で、
徳川家康が江戸に入った1590年から江戸時代の終わりまでのできごとを
時系列で丹念に記した「年表」だ。
江戸末期に書かれたものだから、中期から初期の話は当然
文献に頼ることになるわけで、必ずしも史実ばかりとは限らないが、
とりあえずこれに当たれば、江戸に起きたことはたいていわかるという
ありがたい本である。
わたしが読んでいるのはちくま学芸文庫版。

ヒマを見つけてはちょっとずつめくっているのでなかなか進まないが、
やっと元禄まできた。綱吉の時代である。

元禄といえば、あの、忠臣蔵の元ネタ。
松の廊下で切りつけられた上に、就寝中に47人によってたかっておそわれ
なぶり殺しにされた哀れな老人の事件がおきた時代。
これはどう記述されているか。
適当な現代語訳で。

○3月14日 浅野家と吉良家の間に事件が合った日。みんなが知ってることだから、ここに詳しくは書かない。

っておい(笑)。
翌元禄15年。討ち入りの日である。

○12月14日 浅野家の義士47人、本意を達する(この事件は人口に膾炙するので、ここには書かない)

っておい(笑)。
まあこのように、めちゃ細かい割に、お茶目なところもある年表なのである。
なぜこんな扱いになったか、作者に聴いてみたいところ。きっと、あまりに忠臣蔵がはやってて
うざかったのだろう。

それはともかく、
注目は元禄16年。今にいう「元禄大地震」の記録である。

○11月22日
夜8時、地鳴ること雷のごとし。
大地震が来て、戸も障子も倒れ、家は小舟が大波に動くがごとく、地面が2〜3寸から、場所によっては5〜6尺ほど割れて、砂をもみあげ、あるいは水を吹きだしたところもあり。石垣はくずれ、家や蔵はつぶれ、穴蔵は揺りあげ、死人は夥しく、泣き叫ぶ声がちまたにかまびすしい。また、所々、こわれた家から出火がある。
8時過ぎに津波があり、房総半島では人や馬が多く死ぬ。
内川では水面が満ち引きのように4回上下した。
このときから数度地震あり。
相州の小田原はわけて夥しく、死者はおよそ2300人。小田原から品川までは15,000人、房州では10万人、江戸では37,000人以上となったと、記録されている。
このとき、深川の三十三間堂が倒れた。
24日の夜から雨が降り、明け方に止んだ。その後12月まで地震がしばしばおきた。

これを読むだけで、元禄大地震のすさまじさがわかるというもの。
液状化現象とおぼしき記述もある。

翌年、宝永に改元される。
大地震を機に年号を変えたのだろう。

この「武江年表」。Amazonで見ると中古しかない。上巻はほどほどの価格だが、
中巻と下巻はものすごい価格がついているので、上巻しか買ってないのである。
なぜこういう資料本を絶版にするかなあ>ちくま書房
ちくま書房のサイトへ行くと、上中下の3巻セットだけ在庫があるもよう。
うーむ。どうしよう。

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